Vrste dove, vrijednost i odgovor
ドゥアー(祈願)
● ドゥアーの種類:
ドゥアーには、①イバーダ(崇拝行為)としてのドゥアー、②嘆願としてのドゥアーの2種類があります。そしてそのどちらも互いに密接に関連しているのです。
① イバーダ(崇拝行為)としてのドゥアーとは:希望することの実現や好ましくないことの回避、害悪の除去などの目的において、至高のアッラーにのみにイバーダ(崇拝行為)を捧げることにより懇願することです。
至高のアッラーはこう仰られました:-そして大魚の男(ユーヌス:ヨナ)が怒って出かけた時の事を思い出すのだ。彼はわれら(アッラーのこと)が彼を苦境におくなどとは思っていなかったが、暗闇の中でこう叫んだのだ:「あなたの他に真に崇拝すべきいかなるものもありません!あなたは(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なお方です!私は本当に(真理において自らに)不正を働いていた者でした。」それでわれらは彼(のドゥアー)に応え、彼をその悲しみから救った。このようにわれらは信仰者を救うのである。,(クルアーン21:87-88)
② 嘆願としてのドゥアーとは:利益をもたらし害悪を除去することなど、祈願者の諸益を嘆願することです。
至高のアッラーはこう仰られました:-私たちの主よ、私たちは信仰しました。それゆえ私たちの罪をお赦しになり、私たちを地獄の業火の懲罰からお守り下さい。,(クルアーン3:16)
● ドゥアーの威力:
ドゥアーや、アッラーにご加護を乞うことは、1つの武器のようなものです。そしてこの武器はその刃自体の切れ味だけではなく、それを使用する本人によっても効果が違ってきます。ゆえにこの武器に破損などがなく完全であり、かつその使い手が強力で、そして武器の効果を阻む要素などがなければ、敵に甚大な被害を与えることが出来るでしょう。そしてこれら3つの要素の1つでも欠ければ、武器の効果は激減します。ドゥアーは眼前に存在する、あるいはまだ見ぬ障害に対する信仰者の武器です。そしてドゥアーが受け入れられ、願い事が叶うかどうかは、祈る者のアッラーに対する確信の強さやかれのご命令に対しての服従度、及びアッラーの御言葉の興隆のための努力の程度いかんに大きく関わって来るのです。
● ドゥアーが受け入れられることに関して:
ドゥアーは諸条件を満たしていれば、アッラーはそれを直ちに叶えて下さるかもしれませんし、あるいはアッラーはそのしもべが涙ながらに懇願することをお望みゆえにその実現を遅らせられるかもしれません。またもしかすると彼の願う物事よりも有益な代替物を与えて下さるかもしれませんし、試練そのものを解消して下さる代わりに、それを乗り越えるための何らかの手段を授けて下さるかもしれません。あるいは審判の日まで、彼の願い事を叶えて下さらない可能性もあります。とにかくアッラーこそがそのしもべにとって何が最も良いのかをご存知なのですから、私たちは焦るべきではないでしょう。至高のアッラーはこう仰られました:-実にアッラーは物事を完遂されるお方。アッラーは全てのものに各々の分量や度合いを定められたのだ。,(クルアーン65:3)また至高のアッラーはこうも仰られています:-そしてわがしもべたちがわれについてあなたに尋ねたら、(こう言うがよい):「実にわれは(あなたの)近いところにおり、われを呼ぶ者のドゥアーに応えよう。ゆえにわれに乞わせ、われを信仰させよ。あなた方は正しく導かれることであろう。」,(クルアーン2:186)
● ドゥアーの実現を阻む諸要素:
ドゥアーは悪事を回避し、願い事を実現させることにおいて最も重要な要素の1つです。しかしその効果は、以下に挙げるような諸要素によって大きく異なってきます。
例えば、ドゥアー自体の問題。その中に過ちが含まれているなど、アッラーが愛でられないようなドゥアーが挙げられます。
また、ドゥアーする者の心の問題。ドゥアーする際に至高のアッラーに専念しないことなどが例として挙げられます。また非合法な飲食物の摂取、怠慢さや不注意、心の罪の多さなど、ドゥアーが叶えられるのを阻む別の諸要素が絡んできている場合もありますし、念願が叶うのを急ぎ過ぎたり、途中でドゥアーを放棄したりすることもそういった原因の1つです。
またアッラーが現世において願い事を叶えて下さらないのは、来世においてそれよりも遥かによいものを授けてくれるからかもしれません。
またアッラーは願い事の実現を阻まれるとともに、何か別の悪をも阻まれているのかもしれません。
あるいはドゥアーする者の望みの実現が何らかの罪の増加を惹起することにつながるゆえ、アッラーはそれを叶えて下さらないのかもしれません。
またあるいは願い事を叶えた結果、その者が主をなおざりにし、それ以後かれにドゥアーすることがなくなることをご存知ゆえに、それを叶えて下さらないのかもしれません。
● 試練とドゥアーとの関係:
ドゥアーは最善の薬であり、試練に対し効果を奏します。そしてまだ見ぬ試練に対してはその実現を阻み、既に現実化している試練に対してはそれを解消するか軽減するかします。試練の際のドゥアーには3つの状態があります。
1-ドゥアーが試練に勝り、それを撃退する場合。
2-試練がドゥアーに勝り、それを撃退する場合。
3-ドゥアーと試練の強さが釣り合い、それゆえに互いに相殺し合う場合。
● ドゥアーの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわがしもべたちがわれについてあなたに尋ねたら、(こう言うがよい):「実にわれは(あなたの)近いところにおり、われを呼ぶ者のドゥアーに応えよう。ゆえにわれに乞わせ、われを信仰させよ。あなた方は正しく導かれることであろう。」,(クルアーン2:186)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方の主は仰った:「われにドゥアーせよ。そうすればわれはあなた方に応じよう。われのイバーダ(崇拝行為)において不遜な者たちこそは、惨めな形で地獄の業火に入ることになろう。」,(クルアーン40:60)
● ドゥアーの礼儀作法とその実現の諸要因:
それは以下に挙げるようなものです:
偉大かつ荘厳なるアッラーに対する真摯さ。ドゥアーをする前に至高のアッラーへの称賛と賛美、次いで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への祈願を行い、最後もそれで締めくくること。
ドゥアーする際に精魂をこめること。声を低めること。自らの罪を認め、その赦しを乞うこと。至高のアッラーの恩恵を心に噛みしめ、かれに感謝すること。ドゥアーを3回繰り返すこと。何度も繰り返しドゥアーすること。願い事が叶うのを急がないこと。願い事が叶うのを確信しつつドゥアーすること。罪深いことや、親類縁者への害悪などにおいてドゥアーしたりしないこと。ドゥアーにおいてイスラームの教えに抵触するようなことをしないこと。
自らや同胞に害となるようなドゥアーをしないこと。ドゥアーする本人の飲食物や衣服などが合法なものであること。他人に対して何か不正を行っていたら、それを正すこと。ドゥアーにおいて謙虚であり、且つアッラーに対する畏怖の念を抱くこと。ドゥアーする際、心身を清浄な状態に保っておくこと。両手を合わせ、手の平を天に向けて肩の位置まで上げてドゥアーすること。あるいはその両手で顔を覆うようにして、手の甲をキブラ(マッカのカアバ神殿の方向)に向けること。ドゥアーの際、キブラを向くこと。順境にあっても逆境にあってもドゥアーすること。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から信頼のおける伝承をもって伝えられる、正しいドゥアーの形式をもってドゥアーすること。
● ドゥアーにおいて許されることと許されないこと:
ドゥアーには何種類かあります:
1-しもべにとって義務であるか、あるいは推奨されているドゥアー:例えるならばサラー(礼拝)の中などで言うべきものや、あるいはクルアーンやスンナ[1]の中で記述されているようなものです。アッラーはこのようなドゥアーを愛でられ、またご満悦されます。
2-イスラームの教えに反するような、しもべにとって禁じられているドゥアー:例えるならば、アッラーに対して自分を全知者や全能者、不可知の領域の知識を与る者にして欲しいなどと主が専有される性質の付与をお願いすることなどです。アッラーはこのようなドゥアーを愛でられもしなければ、ご満悦することもありません。
3-許されているドゥアー:罪を介して得るのではない豊かさなどを願うことなどが挙げられます。
● ドゥアーが叶えられるのに最適な時間と場所と状況:
1-ドゥアーに最適な時間:
夜の後半。ライラト・アル=カドゥル[2]。義務のサラー(礼拝)の終わり。アザーン(義務のサラーの時間の告知)とイカーマ(義務のサラーの開始の告知)の間。毎晩訪れるある時間帯。金曜日のある時間帯(アスルの後の日暮れ時と言われます)。雨が降った時。アッラーの道において隊列を組んで行軍する時。義務のサラーを呼びかけるアザーンの時。体が清浄な状態で眠りにつき、夜中に起きた時。ラマダーン月のドゥアーなど・・・。
2-ドゥアーに最適な場所:
カアバ神殿の中。ヒジュル・イスマーイール[3]の中。アラファ[4]の日、アラファの台地において。サファーとマルワの丘[5]において。ムズダリファ[6]。ハッジ(大巡礼)の際。小さいジャマラート[7]と中位のジャマラートに向かって投石した直後。ザムザムの水を飲む時など・・・。
3-ドゥアーに最適な状況:
「あなたの他に真に崇拝すべきいかなるものもありません!あなたは(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なお方です!私は本当に(真理において自らに)不正を働いていた者でした」とドゥアーする時。偉大かつ荘厳なるアッラーに専念している時。ウドゥー[8]の後。旅行中。病気の時。不正や抑圧を被っている時。親の子に対する、あるいは子の親に対するドゥアー。サウム(斎戒)する者が、日没と共にそれを解く時。何かを強制されている時。サジダ(伏礼)において。ズィクル(念唱)の場においてムスリムが集まる時。雄鶏が鳴いた時。夜に目を覚まし、「アッラーの他に真に崇拝すべきいかなるものもなし」と言って罪の赦しを求めた後など・・・。
● さて次の項目では、聖クルアーンと預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のスンナによって伝えられるドゥアーのいくつかをご紹介しましょう。
[1] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の言動や、彼の認証したこと、及び彼の性質的・形質的諸特徴のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[2] 訳者注:「ライラト・アル=カドゥル」はラマダーン月最後の10日間の内の奇数日のどれか、あるいは最後の7日間のどれかであるなどという伝承があり、諸説あります。アッラーはこの夜、アッ=ラウフ・アル=マハフーズ(護られた碑板)から向こう1年分の諸事をお望みのままに定められますが、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にクルアーンを啓示されるべく、それをアッ=ラウフ・アル=マハフーズから天の最下層にまで下されたのがこの夜のことでした。この夜は天を昇り降りする天使で世界中が満たされると言われます。クルアーン97章参照のこと。
[3] 訳者注:カアバ神殿の北面に接する半円形の壁。元来カアバ神殿の中に含まれていた部分であり、それゆえその壁の中は神殿内部と同様であると見なされています。
[4] 訳者注:「アラファ」とはヒジュラ暦12月の9日目、ハッジの巡礼者たちが赴くことを義務付けられているマッカ近郊の台地。この日この地でアッラーを念じ、タルビヤを唱え、祈り、犯した罪の許しを請う事は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「ハッジはアラファである。」という言葉が示す通り、ハッジのメインイベント的意味合いを持っています。
[5] 訳者注:「サファーとマルワの丘」とは、マッカのハラーム・モスク内にある全長約400mの回廊を挟む2つの丘。「サファーの丘」から始めてその間を3往復半することは「サアイ」と呼ばれ、ハッジとウムラの義務行為の内の1つです。
[6] 訳者注:「ムズダリファ」とは、ヒジュラ暦12月9日の夜を過ごすことになっているマッカ近郊の場所。
[7] 訳者注:マッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦12月10日に最大の柱に7個、そして11、12、13日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。
[8] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。