Knjiga zikrova - vrijednost zikra

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Naslov: Knjiga zikrova - vrijednost zikra
Jezik: Japanski
Autor: Muhammed b. Ibrahim et-Tuvejdžiri
Prijevod: Seid Sato
Revizija: Fatima Satu
Izvor: Pomoćni ured za islamsko misionarstvo - Rebva
Kratki opis: Govor o vrijednosti zikra.
Objavljeno: 2008-01-15
Kratki link: http://IslamHouse.com/74246
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ズィクル(唱念) - ズィクル(唱念)の徳
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ズィクル(唱念) - ズィクル(唱念)の徳
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Detaljni opis

ズィクル(唱念)

 

1-ズィクル(唱念)の徳

 

ズィクル(唱念)に関する預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の正しい指導:

 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は偉大かつ荘厳なるアッラーをズィクル(唱念)することにおいて、最善の者でした。彼はあらゆる時とあらゆる状況においてアッラーをズィクル(唱念)していましたし、彼の言葉は全てアッラーのズィクル(唱念)と、それに密接に関連する類のものでした。また彼の命令と禁止令と法規定は、崇高なるアッラーへのズィクル(唱念)でしたし、彼の伝えたアッラーの美名や属性や行為や諸規定もまた、彼のその主に対するズィクル(唱念)でした。また彼のその主に対する賞賛やその崇高さや栄光の讃美、主への願い、かれへの呼びかけ、かれへの恐れや希望などは全て、その主に対するズィクル(唱念)だったのです。

 この章では、聖クルアーンと真正なる預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のハディースで言及された、イスラームの教えに忠実に則ったズィクル(唱念)の数々を取り上げていきます。

偉大かつ荘厳なるアッラーのズィクル(唱念)は、最も簡単で容易である一方、最も優れかつ偉大なイバーダ(崇拝行為)です。ズィクル(唱念)するために舌を動かすことは身体の運動の中でも最も楽なものでしょう。アッラーはこの行いに関し、他の行いには定められなかったような徳や報奨をお与えになりました。

ズィクル(唱念)とドゥアー(祈願)の形:

 ズィクル(唱念)とドゥアー(祈願)は本来、声に出しません。声に出して言うのは、イスラーム法典拠においてそのような言及がある場合に限定されます。

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして朝に夕に声を上げることなく、自らの内で慎ましく畏れながら、あなたの主をズィクル(唱念)するのだ。(主のズィクルにおいて)無頓着な者たちの仲間であってはならない。),(クルアーン7:205)

 2-至高のアッラーはこう仰られました:-あなたの主に慎ましく、そして密かにドゥアー(祈願)せよ。かれは行き過ぎる者を愛でられないのだから。,(クルアーン7:55)

偉大かつ荘厳なるアッラーのズィクル(唱念)の諸利益: 

偉大かつ荘厳なるアッラーのズィクル(唱念)には、非常に沢山の偉大な利益があります: 

それは最も慈悲深いお方(アッラーのこと)を悦ばせ、シャイターン(悪魔)を放逐します。また困難を容易くし、悪を遠ざけます。また心から苦悩や心配を取り除き、心身を強固にします。また心と顔に光を与え、糧を呼び、恐怖を解消してくれます。そしてそれは、天国における投資なのです。

また偉大かつ荘厳なるアッラーのズィクル(唱念)は罪を消し去り、アッラーの懲罰からの救いをもたらします。またアッラーとそのしもべの間の疎遠さを解消し、しもべに対して更なるアッラーへのズィクル(唱念)やかれへの愛情、親しみ、悔悟、緊密な関係などをもたらすのです。そして崇高なるアッラーをズィクル(唱念)する者は力を与えられ、荘厳さや威厳、輝きといったもので包み込まれます。そして静寂と慈悲によって覆われ、その周りを天使たちが飛翔するのです。またアッラーはかれの御許にある1団(天使たち)のもとでズィクル(唱念)する者を褒め称え、天使たちはその行いを吹聴して回ります。こう行った理由ゆえに、偉大かつ荘厳なるアッラーはかれが常にズィクル(唱念)されるように命じられたのです。至高のアッラーはこう仰られました:-信仰(イーマーン)する者たちよ、アッラーを頻繁に念じよ。そして朝に夕にかれの崇高さを讃えるのだ。,(クルアーン33:41-42)

アル=バーキヤート・アッ=サーリハート(来世まで継続する善行)[1] 

1-「スブハーナッラー」その意味は:アッラーがいかなる欠陥や落ち度からも無縁である崇高な存在であり、かれのルブービーヤ[2]ウルーヒーヤ[3]においていかなる共同者や参与者もなく、またかれの美名や属性に相似した存在はない、ということです。

2-「アル=ハムド・リッラー」その意味は:全ての賞賛がアッラーにこそあり、かれがその本質と美名と属性、及びその行為と恩恵、そして宗教と法において讃えられるべき存在であるということです。

3-「ラー・イラーハ・イッラッラー」その意味は:アッラー以外に真に崇拝すべきいかなる存在もなく、イバーダ(崇拝行為)はかれのみに捧げられ他の何ものもそこに参与することはなく、いかなる被造物もイバーダ(崇拝行為)を捧げられることはない、ということです。

4-「アッラーフ・アクバル」その意味は:アッラーのみに最高の荘厳さと偉大さと栄光が属すのであり、かれ以外のいかなるものもそこにおいてかれに参与することはない、ということです。

5-「ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー」その意味は:アッラーこそが真の威力を備えられたお方であり、かれ以外のいかなるものも状態を変転させたりすることはなく、またかれのお力なしにはいかなる行為も成就されないということです 。

 至高のアッラーをズィクル(唱念)することの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-ゆえにわれ(アッラーのこと)をズィクル(唱念)せよ。そうすればわれも、あなた方を(罪の赦しをもって)償おう。そしてわれに感謝し、忘恩の徒となるのではない。,(クルアーン2:152)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-(彼らとは)信仰し、その心がアッラーのズィクル(唱念)で平穏である者たち(である)。アッラーのズィクルによって心が平穏にならないことがあろうか。,(クルアーン13:28)

3-至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーを多くズィクル(唱念)する男女には、アッラーがこの上ないお赦しをご用意された。,(クルアーン33:35)

4-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「至高のアッラーはこう仰られた:“われはしもべがわれを思うその思いの通りにあり[4]、彼らがわれを念じれば彼とともにある。もし彼がわれを彼自身の中で念じれば、われも自分自身の中で彼を念じる。もし彼が集団でわれを念じるのであれば、われは彼らよりよい一団(天使たち)において彼を念じる。もし彼がわれに手の平分だけ近付けば、われは片腕分だけ彼に近付くだろう。そしてもしわれに片腕分だけ近付けば、われは彼に両腕分だけ近付くだろう。もし彼がわれへと歩いて来たらわれは彼へと走っていくだろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]

5-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“主を念じる者と念じない者の例は、あたかも生者と死人のそれのようである。”」(アル=ブハーリーの伝承[6]

 ズィクル(唱念)の場の徳:

アル=アガッル・アビー・ムスリムは、言いました:「私は、アブー・フライラとアブー・サイード・アル=フドゥリー(彼らにアッラーのご満悦あれ)が、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように語ったと証言したことを、証言します:“人々が座って偉大かつ荘厳なるアッラーをズィクル(唱念)するならば、天使たちがその周りを飛翔し、慈悲が彼らを覆い、静寂が彼らのもとを訪れ、そしてアッラーはかれの御許にある1団(天使たち)のもとで、彼らを褒め称えるであろう。”」(ムスリムの伝承[7]

いかなる集まりの場においても至高のアッラーをズィクル(唱念)し、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に祝福を祈ることの義務:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたの主の御名を唱え、かれ(への奉仕と崇拝)に没頭するのだ。,(クルアーン73:8)

2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「集まりの場に座しても、そこにおいてアッラーの御名が唱えられることもなく、預言者に祝福も祈られないのなら、それは彼らにとって後悔の元である。」(アッ=ティルミズィーとアフマドの伝承[8] 

  3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーがズィクル(唱念)されることのない集まりから場を立つのは、ロバの死体同様のものから立ち上がるようなものである。彼らには後悔があるのだ。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[9]

 至高のアッラーを常にズィクル(唱念)することの徳:

1-至高のアッラーはこう仰られました:-実に諸天地の創造と昼夜の変転の中にこそは、思慮ある者たちへのみしるしがある。彼らは立ち、座り、横になってアッラーをズィクル(唱念)し、天地の創造に思いを馳せてこう言う:「私たちの主よ、あなたはこれら(の創造)を徒にお創りになったのではありません。(そのような無益さや落ち度から)遥かに崇高なお方よ。私たちを地獄の業火の懲罰から、お救い下さい。」,(クルアーン3:190-191)

2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてサラー(礼拝)が終わったら地上に散開し、アッラーのお恵みを求め(努力す)るのだ。そしてアッラーをよくズィクル(唱念)せよ。あなた方は恐らく成功するであろう。,(クルアーン62: 10)

3-アブドッラー・ブン・ブスル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、ある男が言いました:「“アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)よ、イスラームの制約は私にとって多過ぎます。ですから私が遵守出来る範囲のことを教えて下さい。”(すると預言者は)言いました。“あなたの舌を、アッラーのズィクル(唱念)でもって乾かさないようにしなさい。”」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承[10]

4-アブー・アッ=ダルダーゥ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“最善かつ主の御許で最も清く、またあなた方の位階を最も高め、金銀を施すことよりもあなた方にとってよいことを教えてやろうか?(そして実にそれは)あなた方が敵と遭遇し、互いの首を討ち合うことよりもよいことなのだ。”(すると教友たちは)言いました:“ぜひとも。”(預言者は)言いました:“至高のアッラーのズィクル(唱念)である。”」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承[11]

 5-アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はどんな時でもアッラーをズィクル(唱念)していました。」(ムスリムの伝承[12]

                                                          


[1] 訳者注:「アル=バーキヤート・アッ=サーリハート」は語源的には上記のような意味ですが、その具体的な意味を示す伝承がほぼ同じ内容で数多く存在しています。つまりアフマド、イブン・ヒッバーン、アル=ハーキム、アブー・ヤァラーらがアブー・サイード・アル=フドゥリーから伝える伝承などがその1つで、そこでは教友たちの「アッラーの使徒よ、それ(アル=バーキヤート・アッ=サーリハート)は何ですか?」という質問に答える形で、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が「(それらは:)“タクビール(アッラーフ・アクバルという言葉)”と“タハリール(ラー・イラーハ・イッラッラーという言葉)”と“タスビーフ(スブハーナッラーという言葉)”と“タハミード(アル=ハムド・リッラーという言葉)”と“ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー”である。」と説明しています。

[2] 訳者注:いわゆる主性。つまりこの世の創造や管理、所有や支配などに関する権威。

[3] 訳者注:いわゆる神性。つまり真に崇拝されるべき権威。

[4] 訳者注:例えば何らかのイバーダ(崇拝行為)を行った上で、アッラーがそれに報奨を与えて下さるということを有望に考える者は、アッラーがその通りに叶えて下さります。一方それに懐疑的な者は、アッラーもそれ相応のものをもって応じられます。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は仰られました:「アッラーに対して希望的な観測をもつことなしには、この世を去ってはならない。」(サヒーフ・ムスリム)

[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(7405)、サヒーフ・ムスリム(2675)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6407)。

[7] サヒーフ・ムスリム(2700)。

[8] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3380)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2691)、ムスナド・アフマド(9580)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(74)参照。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

[9] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(4855)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(4064)、スナン・アッ=ティルミズィー(3380)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2691)。文章はアブー・ダーウードのもの。

[10] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3375)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2687)、スナン・イブン・マージャ(3793)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(3060)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

[11] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3377)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2688)、スナン・イブン・マージャ(3790)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(3057)。

[12] サヒーフ・ムスリム(373)。

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