The Book Of Virtues -The Virtues Of Dealings
3-ムアーマラート[1]の徳
● アッラーへといざなうことの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーへといざない、善行を行い、「私はムスリム(アッラーに服従した者)である。」という者よりも、優れた言葉を語る者があろうか?,(クルアーン41:33)
2-サハル・ブン・サアド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はハイバルの役で、アリー・ブン・アビー・ターリブにこう言いました:「落ち着いて彼らとの戦いの場へと赴き、彼らをイスラームへといざなうのだ。そして彼らに、そこにおけるアッラーの権利として彼らに義務付けられるものを教えよ。アッラーにかけて。アッラーがあなたの手によって1人の者を導かれることは、赤ラクダ[2]を得ることよりもあなたにとってよいことなのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3])
● 勧善懲悪の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方の内から、よきことへといざない、善を命じて悪を禁じるウンマ(共同体)を誕生させるのだ。彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン3:104)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-あなた方は善を命じて悪を禁じ、かつアッラーを信仰するところの、人類に出現した最高のウンマ(共同体)である。,(クルアーン3:110)
3-アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“悪を目にした者は、それを手でもって変えるのだ。もしそう出来なければ、言葉でもって変えよ。そしてそれすらも出来なければ、せめて心でもってそうするように努めよ。そしてそれがイーマーン[4]の最小の段階である。”」(ムスリムの伝承[5])
● 助言の徳:
タミーム・アッ=ダーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「“宗教とは助言である。”私たちは言いました:“誰に対する(助言ですか)?”(預言者は)言いました:“アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。”」[6](ムスリムの伝承[7])
● 真理を互いに勧め合うことの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-時にかけて。実に人間は破滅の中にある。信仰し善行に励み、互いに真理を勧め合い、(そこにおいて)忍耐を勧め合う者たちの他は。,(クルアーン103:1-3)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして男女の信仰者は互いに同士である。(彼らは)善行を勧め悪を禁じ、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施す。そしてアッラーとその使徒に従う。彼らこそはアッラーがご慈悲をかけられる者たち。実にアッラーは強大かつ公正なお方である。,(クルアーン9:71)
● イスラームにおいて何か良い習慣を始めた者の徳:
ジャリール・ブン・アブドッラー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“・・・イスラームにおいて何かよいことを始めた者には、その報奨があろう。そして彼には、その後にそれに則って行った者たちの報奨も、そこから少しも差し引きされることなく与えられるであろう。そしてイスラームにおいて何か悪いことを始めた者には、その罪があろう。そして彼には、その後にそれに則って行った者たちの罪も、そこから少しも差し引きされることなく与えられるであろう。”」(ムスリムの伝承[8])
● 人々の間を正しく取り持つことの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-彼らの密談の多くには良いことがない。ただサダカ(施しや慈善行為)と善と人々の間を正しく分けることを命じる者たちは別である。そしてそれらをアッラーのご満悦のみを求めて行う者には、われら(アッラーのこと)がこの上ない報奨を与えよう。,(クルアーン4:114)
2-アブー・アッ=ダルダーゥ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“サウム(斎戒、いわゆる断食)やサラー(礼拝)やサダカ(施しや慈善行為)よりも位階の高いものを教えてやろうか?”(教友たちは)言いました:“ぜひとも。”(預言者は)言いました:“人々の関係を正すことである。というのも人々の関係の腐敗は、(宗教の)破壊であるからなのだ。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[9])
● 信仰者たちと互いに助け合うことの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして善行と(アッラーの懲罰から身を守る)服従行為において互いに助け合うのだ。そして悪や憎しみにおいて互いに助け合ってはならない。そしてアッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような事柄)から身を慎むのだ。実にアッラーは、その懲罰の厳しいお方である。,(クルアーン5:2)
2-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“信仰者と信仰者の関係は、互いに補強し合って立つ1軒の建築物のようである。”そして(預言者は)両手の指を組み合わせました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10])
● 信仰者が互いに慰めあうことの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“現世における信仰者の苦悩を1つ和らげる者は、アッラーが審判の日の彼の苦悩を1つ和らげて下さるであろう。そして(債務超過などで)困難な状況にある者に便宜を図ってやる者は、現世と来世においてアッラーが彼に便宜を図って下さるであろう。またムスリムを(その罪などによる悪評が人々に知れ渡ることなどから)かくまってやる者は、アッラーが現世と来世において彼をかくまって下さるであろう。アッラーはそのしもべが同胞を援助する限り、かれもその援助の手を差し伸べられるのだ。”」(ムスリムの伝承[11])
● 病人を見舞うことの徳:
サウバーン(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“病人を見舞う者は、その間ずっと天国の果樹園の中にある。”すると誰かが尋ねました:“アッラーの使徒よ、天国の果樹園とは何でしょう?”(預言者は)言いました:“熟れた果実の収穫の場である。”」(ムスリムの伝承[12])
● 信用することの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-(アッラーの使徒の携えて来たものを)固く信じる男女と、アッラー(の道)に(おいて)よき貸付をする者たちは、(アッラーが)それを何倍にも倍増して(返して)下さるであろう。彼らには天国の報奨があるのだ。,(クルアーン57:18)
● 売買や(債務返済などの)権利の要求における寛大さの徳:
ジャービル・ブン・アブドッラー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「売買や権利の要求において寛大な者には、アッラーがそのご慈悲をかけて下さるだろう。」(アル=ブハーリーの伝承[13])
● 偉大かつ荘厳なるアッラーの道において努力奮闘・移住・援助することの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰者の内で正当な口実もなく(出征せずに)留まる者たちと、アッラーの道において生命と財をかけて出征し奮闘する者たちは同等ではない。アッラーは生命と財をかけて出征し奮闘する者たちを(正当な口実ゆえに出征出来ない者たちよりも)1段階上に置かれる。そしてアッラーはその双方によき報奨をお約束された。アッラーは出征して奮闘する者たちを、この上ない報奨でもって留まる者たちに優越させられたのだ。(それらの報奨とは、アッラーからの)位階とお赦しとご慈悲である。真にアッラーは赦し深く慈悲深いお方。,(クルアーン4:95-96)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして信仰し、移住し、アッラーの道において奮闘した者たち。また住処を提供し、援助した者たち。彼らこそは真の信仰者である。彼らには(アッラーからの)お赦しと、天国の報奨があろう。,(クルアーン8:74)
● アッラーゆえに訪問することの徳:
1-アブー・フライラ(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ある男が、別の村に住む彼の同士を訪問するために出かけた。それでアッラーは彼の道中に1人の天使を遣わされ、彼を待ち構えて座らせられた。そして彼が天使の所にやって来ると、(天使は)言った:“どこへ行くのですか?”(男は)言った:“この村に住む同士を訪ねるのですが。”(天使は)言いました:“彼に何か貸しでもあるのですか?”(男は)言った:“いいえ。ただ偉大かつ荘厳なるアッラーにおいて、彼を愛しているだけです。”(天使は)言った:“私はあなたに遣わされたアッラーからのみ使いです。あなたが彼をアッラーにおいて愛しているように、アッラーもあなたを愛しておられることを伝えるためにやって来ました”」(ムスリムの伝承[14])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーゆえに病人を見舞い、あるいは同胞を訪問する者は、こう呼びかけられるであろう:「(現世と来世において)あなたによきことがありますように。またあなたの歩みが(来世において)良いものでありますように。そして天国において、あなたが高い位階に住まいを得ることが出来ますように。」”」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承[15])
3-ムアーズ・ブン・ジャバル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“偉大かつ荘厳なるアッラーは仰られた:「われにおいて愛し合う者たちと、われにおいて座を共にする者たち、またわれゆえに訪問し合う者たちと、われゆえに努力し合う者たちは、必ずやわが寵愛を勝ち取るであろう。」”」(アフマドとマーリクの伝承[16])
[1] 訳者注:主と人間の関係を取り扱うイバーダートに対して、ここでは人間と人間の間の諸関係について取り扱っています。
[2] 訳者注:当時のアラブにとって最も貴重な財産の1つと言われます。このように預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は折に触れて、来世の諸事象を現世のものを用いて分かりやすく説明しました。
[3] サヒーフ・アル=ブハーリー(2942)、サヒーフ・ムスリム(2406)。文章はムスリムのもの。
[4] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。
[5] サヒーフ・ムスリム(49)。
[6] 訳者注:イマーム・アン=ナワウィーのサヒーフ・ムスリム注釈によれば、「アッラーへの助言」とはかれへの信仰、シルクの回避、かれをあらゆる欠陥から無縁な存在として讃美すること、かれへの服従、かれへの愛など諸々のことを指しているといいます。実際のところアッラーはそのしもべからの助言などは必要とはされませんが、ここでの「助言」という言葉はしもべ自身に向けてのそれを表しています。また「その啓典」に対する助言とは、それがアッラーの御言葉であり、かれからの啓示であること、またそれが他のいかなる言葉にも似ておらず、いかなる者もそれに匹敵するものを創作出来ないことなどを信仰し、また正しい朗誦と畏怖の念をもってそれを読誦すること、熟読吟味しかつそれを訓戒とすること、それを学びかつ実践することなどを意味します。「その使徒たち」に対する「助言」とは、彼らと彼らが携えて到来したものを信仰すること、彼らへの服従、尊敬、彼らの生き方や人格の模倣、その教えの布教、彼らの教友たちを愛することなどが含まれてきます。また「ムスリムの指導者たち」に対する「助言」とは、真実において彼らを援助し、服従し、穏和な手段をもって勧告し、忘れている事を想起させ、彼らのために祈願し、見捨てたりしないことなどが挙げられます。一方「一般の者たち」に対する「助言」とは、彼らを現世と来世における福利のために導くこと、害悪から守ること、無知を除去してやること、言葉と行いでもって援助すること、恥部を隠してやること、同情すること、騙したり嫉妬したりしないこと、自ら欲することを彼らにも欲することなどを意味します。アッラーフ・アァラム(アッラーこそ最も良くご存知であるお方)。
[7] サヒーフ・ムスリム(55)。
[8] サヒーフ・ムスリム(1017)。
[9] 真正な伝承。スナン・アビー・ダーウード(4919)、サヒーフ・スナン・アビー・ダーウード(4111)、スナン・アッ=ティルミズィー(2509)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2037)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(481)、サヒーフ・ムスリム(2585)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[11] サヒーフ・ムスリム(2699)。
[12] サヒーフ・ムスリム(2568)。
[13] サヒーフ・アル=ブハーリー(2076)。
[14] サヒーフ・ムスリム(2567)。
[15] 良好な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(2008)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(1633)、スナン・イブン・マージャ(1443)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(1184)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。
[16] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(22380)、ムワッタア・マーリク(1779)。サヒーフ・アル=ジャーミゥ(4331)参照。