Иймон асослари (Аллоҳга иймон келтириш)
1-Аллоҳнинг борлиги
2-Аллоҳнинг парвардигорлиги
3-Аллоҳнинг илоҳлиги (сиғинишга лоиқлиги)
4-Аллоҳнинг гўзал исму-сифотлари
10-イーマーンの基幹
● イーマーンの基幹は6つあります。それについては、大天使ジブリール(ガブリエル:彼に祝福と平安あれ)が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に、イーマーンについて訊ねたことに関する伝承の中で言及されています。彼はその問いにこう答えました:「(イーマーンとは)アッラーとその諸天使、そしてその諸啓典と諸使徒、そして来世と、それが良いことであれ悪いことであれ運命を信じることである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1])
①アッラーへの信仰
● アッラーへの信仰は次の4つの事を内包しています:
1、至高のアッラーの存在:
● アッラーは全ての被造物を、その創造主への信仰の元に創造されました。
崇高かつ至高なるアッラーは仰られています:-ゆえにあなたの顔を純正な宗教へと向けるのだ。(それは)人々がそれを元に創造されたところのアッラーの天性。アッラーの創造に改変はない。,(クルアーン30:30)
● そしてこの宇宙に創造主が存在することは、理性によっても証明できます。
というのも過去のものであれ、未来のものであれ、被造物はそれを存在せしめた創造主無しにはありえないからです。そして被造物は自らの力でもって自らを存在させることは出来ませんし、また突如原因もなく生じることもありません。ゆえに被造物には、それらを生じせしめた存在があるのです。そしてそれこそは万有の主アッラーなのです。崇高かつ至高なるアッラーは仰られました:-無から生じたのか。あるいは彼ら(シルクの徒[2])自身が創造者だというのか?それとも(彼らが)天地を創ったとでもいうのか?いや、彼らの信仰は曖昧なのである。,(クルアーン52:35-36)
● また崇高なるアッラーの存在は感覚によっても証明できます。
私たちは昼夜の変転や人間と動物の生命の糧、被造物を取り巻く諸事が全て首尾よく運営されていることなど、至高なるかれの存在を明確に示している証拠を目にします。アッラーは仰られています:-アッラーは昼夜を変転させる。実にそこには眼識ある者たちへの教訓があるのだ。,(クルアーン24:44)
● アッラーがその諸使徒と諸預言者を援護した数々のみしるしと奇跡は、人々によって目撃されたり耳にされたりしています。
それらはアッラーがそれでもってかれの諸使徒を助け援護したところの、人的能力を超越した事象なのです。そしてこの事は彼らを遣わした存在、つまり偉大かつ荘厳なるアッラーの存在の1つの確証でもあります。アッラーはイブラーヒーム(アブラハム。彼に平安あれ)がその民から迫害を受けて火にかけられた時、彼のために火を冷たく無害なものに変えられ、ムーサー(モーゼ。彼に平安あれ)には海を真っ二つに割らせました。またイーサー(イエス。彼に平安あれ)には死人を蘇生させ、そしてムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)には月を割らせました。
● アッラーはかれに祈願する者の願い事を叶え、何か必要なものを求める者には与え、また苦難にある者には慰安を授けて下さいます。
この事は疑念の余地なく、崇高なるかれの存在と知識、そして威力を示しているのです。
1-至高のアッラーは仰られました:-あなた方が、あなた方の主のご援助を請うた時(のことを思い出すのだ)。かれ(アッラーのこと)はあなた方に応じてこう仰られた:“われ(アッラーのこと)はあなた方に、隊列を組んでやって来る1000の天使を(援助として)遣わそう。” ,(クルアーン8:9)
2-至高のアッラーは仰られました:-またアイユーブ(ヨブ)がその主をこう呼んだ時(のことを思い出すのだ):「私は害悪に苦しんでいます。そしてあなたこそは慈悲深い者全ての中でも、最も慈悲深いお方であられます。」そしてわれら(アッラーのこと)は彼に応え、彼から害悪を取り除いてやった。それからわれらは(来世において)彼に彼の家族を与え、そしてそれと似たような者たちを(現世においても)授けてやったのだ。これらはわれらの慈悲の賜物であり、イバーダ(崇拝行為)に努める者たちに対しての教訓なのだ。,(クルアーン21:83-84)
● またイスラーム法自体も、崇高かつ偉大なるアッラーの存在を証明しています。
イスラーム法に内包された諸規定は、被造物の福利のためのものです。そして偉大かつ荘厳なるアッラーが諸啓典として各々の使徒と預言者に下されたそれらの天啓法は、それらがしもべの福利を完知された公正で万能の主からのものであることを示しています。
2、アッラーが唯一の主であり、何ものもかれに共同・参与しないということへの信仰:
真の主とは全ての創造と所有と権限を有されるものであるゆえ、アッラー以外には創造主も真の所有者もなく、全ての権限はアッラーにこそあります。つまり全ての創造物はかれのものであり、全ての所有権はかれのものであり、全ての権限はかれに属するのです。かれこそは強大かつ慈悲深いお方であり、何ものも必要とされず真に讃美されるべきお方です。かれは慈悲を請われれば慈しみを授けられ、罪の赦しを請われれば、お赦しになられます。また求められればお与えになり、呼ばれればお応えになられます。かれは永生され自存されるお方であり、まどろみも睡眠も覚えられません。
1、 至高のアッラーは仰られました:-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)
2、至高のアッラーは仰られました:-アッラーにこそ諸天地と、そこにある全てのものは属する。そしてかれには全ての物事が可能なのである。,(クルアーン5:120)
● 私たちは以下のことを知り、確信しています:偉大かつ荘厳なるアッラーが、全ての創造物を創造され、全ての存在を存在せしめ、それらを形造られたこと。そして諸天地を創られたこと。太陽と月、昼と夜を創られたこと。水と植物、人間と動物、山々と海々を創られたこと。-そして(アッラーは)全てを創造され、それらを緻密に定められた。,(クルアーン25:2)
● アッラーは全てのものをそのお力でもって創られました。崇高なるアッラーには代理人も顧問も補佐もなく、かれこそは唯一で全てを支配されるお方なのです。かれはそのお力をもってその玉座におかけになられ、大地を広げられました。そしてそのご意志をもって全ての被造物を創造され、そのお力をもってそのしもべたちを支配されました。かれは東西にある全てのものの主であり、かれ以外に崇拝されるべきものの存在しないお方、永生し自存されるお方なのです。
● また私たちは以下のことを知り、確信しています:崇高なるアッラーが全能であり、全てを包囲なされていること。かれが全ての王であり、全てをご存知であり、全てのものを支配されていること。また全ての被造物はその強大さに服従し、その威厳に対して声をひそめ、そのお力の前では彼らの内のいかなる強者も卑小な存在であること。またかれを(現世において)視覚で捉える事は出来ませんが、かれこそが全ての視覚を捉えられているのであり、霊妙かつ全てに通暁されたお方であること。そしてかれはお望みになられることをなされ、ご決定されます。-かれ(アッラー)のご決定というものは、それをお望みになられた時に“(このように)あれ。”と仰られただけで、実にそのようにあるのである。,(クルアーン36:82)
● 至高なるアッラーは天地にあるもの全てを熟知され、不可視界の事象も可視界の事象もご存知の至高至大のお方です。かれは山々の重さも海々の広さも、雨のしずくの一滴一滴の数も、全ての木々の葉の数も砂丘の砂粒の数もご存知なのです。かれは夜が覆い隠すものも昼が照らし出すものも熟知されています。-そしてかれはかれのみぞ知る不可視界の鍵を有される。かれは陸にあるものも海にあるものもご存知であり、1枚の葉でさえかれの知をよそに落ちることはない。また地中の暗闇に潜む1粒の種子も、湿っているものも乾いているものも、全て明白な書の中に記録されているのである。,(クルアーン6:59)
● また私たちは以下のことを知り、確信しています:荘厳なるアッラーが日々諸事を司られ、天地のいかなる事も熟知されていること。かれが全てを管理され、風を送られ、慈雨をお恵みになること。またかれが一度不毛となった台地を蘇えらせ、お望みになる者を強大に、あるいは卑小にされること。そして彼こそが、生と死、供給と禁止、零落と興隆を司られるお方であること。-かれこそはそれ以前にも、それ以後にも何ものも存在しないお方であり、最も高くかつ最も近いお方である。そしてかれは全てをご存知なのだ。,(クルアーン57:3)
● また私たちは以下のことを知り、確信しています:天地の宝庫は全てアッラーのものであること。そして全ての存在には貯蔵庫があり、それが水であれ、植物であれ、空気であれ、鉱物資源であれ、健康であれ、平和であれ、享楽であれ、懲罰であれ、慈悲であれ、お導きであれ、力であれ、強大さであれ、それらは全てアッラーの御下にあること。-そして全てのものには、われら(アッラーのこと)の下にその貯蔵庫がある。そしてわれらはそれらを、適当な量だけ供給するのだ。,(クルアーン15:21)
● 以上のことを知り、またアッラーの全能性、偉大さ、お力、威厳、知識、宝庫、ご慈悲、そして唯一性といったものを確信すれば、心はかれへと向かい、胸はかれへのイバーダ(崇拝行為)ゆえに喜びに満たされるでしょう。また体の全部位はかれに服従し、舌はかれの比類のなさと至大さ、崇高さと誉れ高さを讃美してやまないことでしょう。そしてあなたはもうかれ以外のものに何かを求めたりせず、かれのみがその権能を専有される事柄において、かれ以外の何ものにも援助を請願したりはしないでしょう。またあなたはもはやかれ以外にはタワックル(自らの身を完全に委ねること)したりせず、かれ以外を恐れることもなければ、かれ以外のなにものかをイバーダ(崇拝行為)の対象とすることもないでしょう。-かれこそがアッラー、あなた方の主である。かれ以外に崇拝すべきものはない。かれは全ての創造主であるのだ。ゆえにかれを崇拝せよ。かれは全てにおいて(そのしもべから)委任されるべきお方なのである。,(クルアーン6:102)
3、崇高なるアッラーのウルーヒーヤ[3]への信仰:
● 私たちは以下のことを知り、確信しています:アッラーのみが真に崇拝されるべき存在であり、何ものもそこに参与することはないこと。かれのみがイバーダ(崇拝行為)を捧げるに相応しいお方であること。彼が万有の主であり、万有の崇拝する存在であること。また私たちがかれに対する完全な服従と愛と、その比類なさに対する讃美をもって、かれ自身が定められた方法に則ってかれにイバーダ(崇拝行為)を捧げるべきこと。
● また私たちは以下のことも知り、確信しています。アッラーはそのルブービーヤ[4]においていかなる参与者も存在しない唯一のお方であると同様に、そのウルーヒーヤにおいてもいかなる参与者も存在しない唯一のお方であること。そしてそれゆえに、私たちがかれに何ものをも並べることなくかれを崇拝し、かれ以外のいかなるものに対するイバーダ(崇拝行為)も回避すべきこと。
至高なるアッラーは仰られました:-そしてあなた方が崇拝すべきものは、ただ1つ。かれ以外には崇拝するべきものの存在しない、慈悲あまねく慈悲深いそのお方なのである。,(クルアーン2:163)
● アッラーを差し置いて崇拝されている全てのもののウルーヒーヤは空虚であり、それらに向けられているイバーダ(崇拝行為)もまた空虚です。-それというのもアッラーこそが真実であり、かれをさしおいて彼ら(シルクの徒)が崇めているものが空虚だからである。そしてアッラーは、至高至大のお方なのだ。,(クルアーン22:62)
4、アッラーの美名と属性への信仰:
その意味するところは:その理解と暗記、その認識、それをもってアッラーを崇拝すること、そしてそれが義務付けるところのものを実行することです。アッラーの比類なき偉大さや威厳、栄光、荘厳さといった性質を知ることによって、しもべの心はアッラーに対する畏敬と賞讃の念に満たされるでしょう。
またアッラーの強大さや威力、全てを支配するお力といった性質を知ることで、しもべの心には主に対する慎み深さや謙虚さ、服従の念といったものが充溢することでしょう。
またアッラーのご慈悲やお優しさ、寛大さといった性質を知れば、しもべの心はアッラーの恩恵や慈善、寛容さなどを希求し切望する気持ちであふれるでしょう。
加えてアッラーの知識や、全てを包囲され何事にも通暁されているという性質を知ることは、しもべの心に「いかなる行動も見透かされているのだ」という意識を芽生えさせてくれます。
そしてこれら全ての属性は、しもべにアッラーへの愛と思慕の念、親しみの念などを抱かせるだけでなく、かれのみにタワックル(自らの身を完全に委ねること)させることや、かれのみにイバーダ(崇拝行為)を捧げ邁進させることにも大きく供与するのです。
● 私たちは崇高なるアッラーがご自身に対して認められた美名と属性、あるいはその預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がアッラーに対して肯定した美名と属性の全てを認めます。そしてそれらとそれらが示す意味や作用を信じます。つまりアッラーが“最も慈悲深い御方”であることと、かれが慈悲を備えられているお方であるというその意味を信じます。そしてこの美名の及ぼす諸作用の1つには、アッラーがお望みになるものにご慈悲をかけられるということがあります。このように、他の全ての美名においても同様の捉え方をしなければなりません。
また私たちはアッラーの美名と属性を意味のすり替えや完全否定、具体的説明の努力や擬人化などの手法に依拠することなく、崇高なかれの荘厳さにふさわしい形において認めるのです。-かれ(アッラー)に似たものは何1つない。にも関わらず、彼は全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。,(クルアーン42:11)
● 私たちはアッラーのみにその美名と崇高な属性が帰せられるということ、そしてそれをもってかれに祈願するということを知り、確信しています:
1-至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。,(クルアーン7:180)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「実にアッラーには99の、‐つまり100に1つ足りない数の御名がある。それを数え上げた者は天国に入るだろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])