ഖബര് സന്ദര്ശനം
⑦墓地の訪問
● 墓地の訪問の法的位置づけ:
来世と死に思いを馳せるという意味でも、男性が墓地を訪問するのはスンナです。そして訪問の意図はあくまで死を熟慮し、訓戒を得、死人たちに挨拶をし、彼らのためにドゥアー(祈願)するためであって、墓地で別の願い事をしたり、死人たちやその砂から祝福を得ようとしたりすることなどシルク[1]の原因となるようなことをするためではありません。
● 死人に願い事をすること:
死人に向かってドゥアー(祈願)したり、イスティガーサ[2]したり、願い事を叶えてくれるよう頼んだり、困難を除去してくれるよう願ったりすることは許されません。また預言者や義人の墓の周りを崇拝の意味をこめてタワーフ(旋回)したり、墓地で犠牲を捧げたり、墓地をモスクとしたりすることも全て、アッラーがそのようなことを行う者に地獄の業火を警告したところのシルクなのです。
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、末期の病の折にこう言いました:“ユダヤ教徒とキリスト教に呪いあれ。彼らは彼らの預言者の墓を、礼拝所としてしまったのだから。”(アーイシャは)言いました:“もし(彼が恐れていた)この事がなければ、彼の墓は人目に明らかな形に作られたのでしょうが、いかんせん彼は自分の墓がモスクにされてしまうことを危惧していたのです。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3])
● 墓地を訪問した際に唱えること:
1-「イーマーンの徒とイスラームの徒[4]からなる墓の住人たちよ、あなた方の上に平安あれ。アッラーが私たちの内の先人たちにも後人たちにも、ご慈悲を垂れて下さいますように。私たちはアッラーの思し召しとともに、やがてあなた方の所へと仲間入りします。」(ムスリムの伝承[5])
2-あるいはこう唱えます:「イーマーンの徒とイスラームの徒からなる墓の住人たちよ、あなた方の上に平安あれ。私たちはアッラーの思し召しとともに、やがてあなた方の所へと仲間入りします。」(ムスリムの伝承[6])
3-「イーマーンの徒とイスラームの徒からなる墓の住人たちよ、あなた方の上に平安あれ。私たちはアッラーの思し召しとともに、やがてあなた方の所へと仲間入りします。私はアッラーに、私たちとあなた方の無事を祈ります。」。(ムスリムの伝承[7])
● 女性が墓地を訪問することに関して:
女性が墓地を訪れるのは大罪[8]の内の1つであり、それゆえ女性の墓地訪問は許されません。しかしもし訪問の意図なく墓地を通りかかった場合、そこに足を踏み入れることなしに墓の住人に挨拶をし、また彼らのためにドゥアーすることはスンナです。
● 墓地を訪問する者には4つの状態が考えられます:
1-彼らのためにアッラーにドゥアーし、罪の赦しを乞うてやること。そして死者の状態に考えを巡らせ、来世を想起すること。これがイスラーム法に適った墓地の訪問です。
2-モスクよりも墓地でするドゥアーの方が良いという考えのもとに、墓地において自らと墓の住民のために至高のアッラーにドゥアーすること。これは拒否すべきビドゥア[9]です。
3-「主よ、何某の権威において、あなたにお頼み申し上げます」などといった風に、生死を問わずある者の権威や権利において至高のアッラーにドゥアーすること。これはシルクへとつながる考えと言動を有しているゆえ、禁じられます。
4-「アッラーの預言者よ、私にお与え下さい」とか「アッラーに近しいお方よ、私を癒して下さい」とか「何某よ、私にお与え下さい」といった具合に、至高のアッラーをそっちのけにして死者にドゥアーすること。これは大シルクです。
● 非ムスリムの墓を訪問すること:
純粋に死を考える、という意味でなら、ムスリム以外の者の墓を訪れることは許されています。但し死者のためにドゥアーしたり、罪の赦しを乞うたりはしません。
● 墓地は熟慮し訓戒を得るための場所です。ゆえに木を植えたり、敷石を敷いたり、灯りを点したりといった飾り立てをしてはいけません。
● 死者に伴ってやって来るもの:
アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“3つの物が死者に伴って来るが、内2つの物は戻り、彼の元には1つだけ残るのだ。つまり死者は家族と財産と自らの行いに伴われるが、家族と財産は途中でいなくなってしまう。そしてただ彼の行いだけが共に残るのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10])
● 葬儀のサラーと遺体を埋葬するまで見届けることの徳:
ムスリムが他のムスリム‐存命中であるかどうかを問わず‐に、アッラーに対する御近づきとしての行いを代わりに行うのは許されません。但し以下に挙げるようなイスラーム法で認められている範囲のものであれば、問題はありません:①故人のためのドゥアー、②故人のためのイスティグファール(アッラーに罪の赦しを乞うこと)、③故人のためのハッジ(大巡礼)、あるいはウムラ(小巡礼)代行、④故人のためのサダカ(施し)、⑤ナズル[11]などにより故人に生前課されていた義務のサウム(斎戒)を代行すること、など。
一方クルアーンの読誦者を雇ってクルアーンを読ませ、その読誦による報奨を故人に贈与する、などという行為は法的根拠もないビドゥアです。
[1] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルク」の項を参照のこと。
[2] 訳者注:つまりアッラーにしか不可能な何らかのことにおいて、かれ以外の何かに援助を要請するようなことを指します。
[3] サヒーフ・アル=ブハーリー(1330)、サヒーフ・ムスリム(529)。文章はムスリムのもの。
[4] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「イスラームとイーマーン」の項を参照のこと。
[5] サヒーフ・ムスリム(974)。
[6] サヒーフ・ムスリム(249)。
[7] サヒーフ・ムスリム(975)。
[8] 訳者注:「大罪(カビーラ)」とは、それに対し現世において刑罰が適用されたり、あるいはそれを犯すことで来世において地獄を警告されていたり、またアッラーのご慈悲からの放逐やかれのお怒りを招くこととされているものです。例としてはシルクや殺人、ズィナー(姦淫)や魔法、リバー(不法商取引)、親不孝、嘘の誓いなどがあります。
[9] 訳者注:「ビドゥア」とは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)やその教友、その次世代の者たちも行っていなかったような宗教に関する物事を新規に発明したり、実践したりすることです。またあるいは法的典拠にそぐわないような物事で、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道である「スンナ」の反対語です。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(4497)、サヒーフ・ムスリム(92)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[11] 訳者注:「ナズル」とは至高のアッラーの偉大さを讃える意味で、自らに何らかの合法的な物事の実行を課すことです。