The Book Of Virtues -The Virtues Of Faith
イーマーンの徳
● ここでは、アッラーの御許においてより高い位階を勝ち取ることにつながる行為と、またそれらの行いに対する希望と熱意、その増進と競争、そこにおける悦楽などの原因となる諸々の行為の徳を、聖クルアーンの章句と真正な伝承をもって取り上げていきます。全ての行いはその徳を明らかにすることで、その行いに対する願望や熱意を心の中に呼び起こすことにつながります。そして魂と身体を活性化し、弱さや怠慢を克服し、体の一部一部を服従行為とイバーダ(崇拝行為)のために活動させてくれるのです。
至高のアッラーはこう仰られました:-信仰して善行に勤しむ者たちには、彼らのために、川が下を流れる楽園についての吉報を伝えよ。彼らはそこで果実の糧を与えられるたびに「これは私たちが以前与えられていたものだ。」と言う。彼らには(見た目は現世での果実に)似たものが授けられる(が、その味は全く異なっている)。またそこには彼らのために、純潔な配偶者がいる。彼らはそこに永遠に住むのである。,(クルアーン2:25)
● イフラース(真摯さ)と意図の正しさ:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。,(クルアーン98:5)
2-ウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「行いというものは、その意図を伴わずにはいないものである。そして全ての者は、その意図したところのものによって(その報奨を)得るのだ。ゆえにアッラーとその使徒ゆえにヒジュラ[1]した者は、アッラーとその使徒ゆえにヒジュラをした(報奨を得る)のであり、一方現世的利益や女性との結婚が目的でヒジュラした者は、それ相応のものゆえにヒジュラしたに過ぎないのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2])
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーはあなた方の姿形や財産をご覧になられるのでない。しかしあなた方の心と行いをご覧になられるのだ。”」(ムスリムの伝承[3])
● 善行を欲することの徳:
イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は至高の主がこう仰ったと伝えました:「“実にアッラーは善行と悪行を書き記された。そしてそれらを明白にご説明された。ゆえに善行を欲する者は例えそれを実行しなくても、アッラーがそれを1 つの完全な善行として書き留められよう。そしてもしそれを欲し、かつ実行するのであれば、偉大かつ荘厳なるアッラーはそれを10倍から700倍、そしてそれ以上に倍増させた形で書き留められよう。一方悪行を思い立ってもそれを実行しない者は、アッラーが彼に1つの善行を書き留められよう。そしてもしそれを思い立って実行したら、アッラーはそれを1つの悪行として書き留められる。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
1-イーマーンの徳
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方の主からのお赦し(を呼ぶ諸々の服従行為)へと急ぐのだ。その広さは天地の広さほどもある。(それは)アッラーとその使徒たちを信仰する者たちに用意されたものである。これこそはアッラーがお望みの者に与えられる、かれの余りある恩恵である。アッラーはこの上ないお恵みの主であられる。 ,(クルアーン57:21)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰し善行に励む者たちこそには、フィルダウスの楽園がその住まいとして与えられよう。,(クルアーン18:107)
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、ある男がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にこう尋ねました:「“どのような行いが最善でしょうか?”(預言者)は言いました:“アッラーとその使徒を信仰することだ。”(男は)言いました:“その次は?”(預言者)は言いました:“アッラーの道において努力奮闘することだ。(男は)言いました:“その次は?”(預言者)は言いました:“正しく行われたよいハッジ(大巡礼)だ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
4-ウスマーン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)」を知って死んだ者は、天国に入る。”」(ムスリムの伝承[6])
[1] 訳者注:「ヒジュラ」の元々の意味は何かを避けることを意味するが、ここではマッカからマディーナへの宗教迫害を回避しての移住、いわゆる「聖遷」のこと。
[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(54)、サヒーフ・ムスリム(1907)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[3] サヒーフ・ムスリム(2564)。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(6491)、サヒーフ・ムスリム(131)。文章はムスリムのもの。
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(26)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[6] サヒーフ・ムスリム(26)。