ชิรฺก
การ์ดของข้อมูล
หัวข้อ: ชิรฺก
ภาษา: ญี่ปุ่น
ผู้เขียน: มุหัมมัด บิน อิบรอฮีม อัต-ตุวัยญิรีย์
ผู้แปล: สะอีด ซาโตะ
ผู้ตรวจทาน: ฟาฏิมะฮฺ ซาโตะ
คำอธิบายโดยย่อ: บทความในภาษาญี่ปุ่น กล่าวถึงอันตรายของชิริก ประเภทของชิริก
วันที่เพิ่ม: 2007-09-25
ลิงก์แบบย่อ: http://IslamHouse.com/55493
:: หัวข้อนี้ถูกจัดอยู่ในหมวดหมู่ต่อไปนี้ ::
คำอธิบายโดยละเอียด
4-シルク(アッラーの唯一性信仰と対立するもの)
● シルクとは:至高のアッラーに対し、かれのルブービーヤ[1]とウルーヒーヤ[2]そしてかれの美名と属性、あるいはそれらのいずれか1つにおいて同位者や関与者をおくことです。それゆえアッラーの他に創造主がいるとか、あるいはそれに関与するものがあるなどと考える人は、ムシュリク(シルクを犯す者)になります。またアッラー以外に崇拝するに値する存在があると考える人も、アッラーのみが有する美名や属性を共有するものがあるなどと考える人も、またムシュリクとなります。
● シルクの危険性:
1-アッラーに対してシルクを犯すことは、比類のない不正です。というのもシルクは、至高のアッラーのみが有される権利であるタウヒードに対する冒涜だからです。タウヒードこそは公正のうちでも最たるものであり、シルクは不正と醜行のうちでも最たるものです。シルクは万有の主に欠陥があるといういわれのない主張をし、アッラーへの服従に対して驕り高ぶる行為なのです。シルクの危険性は尋常ではなく、もし審判の日にムシュリクとしてアッラーにまみえることになれば、アッラーは彼をお赦しにはなられません。崇高なるアッラーは仰られます:-実にアッラーはシルクをお赦しにはなられないが、それ以外のことであればお望みの者をお赦しになられる。,(クルアーン4:48)
2-アッラーに対してシルクを犯すことは最大の罪悪です。アッラー以外のものを崇拝するものはイバーダ(崇拝行為)を間違った形で行い、それを本来ささげるべき御方以外のものに捧げているからです。これは至高のアッラーが次のように仰られているように、非常な罪悪なのです:-実にシルクは非常な罪悪である。,(クルアーン31:13)
① 至高のアッラーは仰られました:-そしてあなたと、あなた以前の者たちにこう啓示された:“もしあなたがシルクを犯せば、あなたの行いは無駄となり、あなたは損失者の類となるのだ。”,(クルアーン39:65)
② アブー・バクラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう3回繰り返し言いました:“大罪の内でも最大のものを教えようか?”(人々は)言いました:“ええ、アッラーの使徒よ。”(預言者は)言いました;“アッラーに対してシルクを犯すこと、そして親不孝だ。”そして(預言者は)座ると、寄りかかってこう言った:“そして虚言(もその内の1つだ)である。”」(アブー・バクラは)言いました:「そして彼(預言者)は、私たちが“もう黙ってくれたらいいのに”と思うまで、それを繰り返し言い続けました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
● シルクの醜悪さ:
偉大かつ荘厳なアッラーはクルアーンの4つの説において、4つのシルクの醜悪さについて述べられています。それらは以下の通りです:
① 至高のアッラーは仰られました:-実にアッラーはシルクをお赦しにはなられないが、それ以外のことであればお望みの者をお赦しになられる。そしてアッラーに対してシルクを犯す者は、この上ない罪を犯しているのだ。,(クルアーン4:48)
② 至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーに対してシルクを犯す者は、実に遥か遠く迷い去ってしまった者である。,(クルアーン4:116)
③ 至高のアッラーは仰られました:-実にアッラーに対してシルクを犯す者は、アッラーが彼に天国を禁じられ給う。そして彼の行き先は地獄の業火であるのだ。(審判の日)不義の徒に援助者はないのである。,(クルアーン5:72)
④ 至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーに対してシルクを犯す者というのは、天から墜落した後に鳥にさらわれ、あるいは風に吹き飛ばされて遠い場所へと運び去られてしまうようなものである。,(クルアーン22:31)
● シルクを犯す者が受ける罰:
1-至高のアッラーは仰られました:-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シルクを犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。,(クルアーン98:6)
2-至高のアッラーは仰られました:-アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわれら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰を用意しておいたのだ。,(クルアーン4:150-151)
3-アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“死ぬまでアッラー以外の何かにドゥアー(祈願)していた者は、地獄の業火に入るだろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
● シルクの基礎:
シルクがその上に成立しているところの基盤というべきものは、アッラー以外の何かを愛するということです。アッラー以外の何かを愛する者は、来世においてアッラーが彼の愛する対象をもって彼に襲いかからせ、そしてそれ自身でもって彼を罰されます。彼は自らの愛するものに裏切られる羽目になるのです。彼は屈辱的な見捨てられた状態に陥り、誰も彼に目も向けなければ、援助の手を差し伸べてくれもしません。至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーの他にいかなるものも崇拝してはならない。そうすればあなたは屈辱を受け、見捨てられる羽目になるであろう。,(クルアーン17:22)
5-シルクの種類
● シルクには2種類あります:①大シルクと、②小シルクです。
1-大シルク:大シルクは、それを犯す者をイスラームの範疇の外に追いやり、またその全ての行い(善行や崇拝行為など)を無駄にしてしまいます。大シルクを犯す者の生命と財産はもはや神聖で保障されたものではなくなり、もしその行為から悔悟する前に死んでしまうようなことがあれば、来世では地獄の業火に永遠に留まることになります。大シルクとはイバーダ(崇拝行為)そのもの、あるいはその一部をアッラー以外のものに捧げることを意味します。例としては死人やジン(精霊的存在)やシャイターン(悪魔)など、アッラー以外の何ものかにドゥアー(祈願)したり、誓いを立てたりすることや、アッラー以外にはその権能を有しないところのものにおいてアッラー以外のものに富の獲得や病からの治癒、あるいは必要事や雨の到来などを頼んだりすることが挙げられます。無知な者たちはこれらのことをいわゆる聖者や正しく偉大であった人物の墓や、木や石などからできた偶像に対して行っています。
● 大シルクの種類:
① 恐れにおけるシルク:これは何らかの物体、偶像、ターグート[6]、死者、その場に存在しないジンや人間などアッラー以外の何ものかが、災いを及ぼすことを恐れることです。この種の恐れはイスラームの教えにおいて最も偉大かつ崇高な地位を占めているものの1つであり、それゆえにアッラー以外のものにおいてこの種の恐れを抱く者は、アッラーに対して大シルクを犯しています。至高のアッラーは仰られています:-ゆえに彼らを恐れてはいけない。あなた方が信仰者であるのなら、われ(アッラーのこと)を畏れるのだ。,(クルアーン3:175)
② タワックル(自らの身を完全に委ねること)におけるシルク:全ての事柄と状況においてアッラーにタワックルすることは、アッラーのみに対して純粋な形で行わなければならない最も偉大なイバーダ(崇拝行為)の1つです。それゆえアッラーのみが権能を有されるところのもの-つまり害悪の駆除や利益、糧の獲得など-において、アッラーを差し置いて死者や不在者などにタワックルする者は大シルクを犯していることになります。至高のアッラーはこう仰られています:-そしてあなた方が信仰者であるのなら、アッラーにこそタワックルするのだ。,(クルアーン5:23)
③ 愛におけるシルク:アッラーへの愛には、かれに対する完全な服従とつつましさが不可欠です。この種の愛は純粋な形でアッラーにこそ向けられるものであり、何ものもそれをアッラーと共有することは許されません。それゆえアッラーを愛するようにアッラー以外の何かを愛する者は、その愛とアッラーの比類のなさを讃美することにおいて、それらをアッラーの参与者としていることになります。そしてそれは大シルクの形態の1つなのです。至高のアッラーは仰られています:-そして人々の中には、アッラー以外のものをアッラーを愛するように愛して、その同位者とする者たちがいる。しかし信仰する者たちのアッラーに対する愛情は、(彼らアッラー以外のものをアッラーを愛するように愛する者たちの愛情)より強烈なのだ。,(クルアーン2:165)
④ 服従におけるシルク:大シルクの形態の1つに、服従におけるものがあります。例えば王侯や指導者、学者や統治者などがアッラーが非合法とされたことを合法化したり、あるいは合法とされたことを非合法化したりしたとき、そのような彼らの裁断において彼らに服従することは、法の制定その他の事柄を合法・非合法化する権威において彼らをアッラーに参与させることになります。このような行為は至高のアッラーが次のように仰られている通り、大シルクの1つに数えられます:-(ユダヤ教徒、キリスト教徒ら啓典の民は)アッラーを差し置いて、彼らの学者や僧侶たち、そしてマリアの子メシア[7]を彼らの主と拝した。彼らは、かれ以外に崇拝すべきものが存在しないところの1つの神性を崇拝する以外のことは命じられていなかったにも関わらず、である。アッラーは(彼らが)かれに並べて(崇めて)いるものから、無縁かつ高遠なお方である。,(クルアーン9:31)
2-小シルク:これはアッラーがシルクと名づけられたものの、大シルクの域にまでは及ばない類のものの事を指します。小シルクを犯すことでタウヒード[8]信仰は損なわれますが、それを犯す者をイスラームの範疇外にまで追いやることはありません。小シルクは大シルクの架け橋であり、それを犯す者は(来世において)罰せられても、不信仰者のように永遠に地獄の業火に留まることはありません。また彼の生命も財産も、神聖で侵すべからざる保証されたものです。また大シルクは、それを犯す者の善行やイバーダ(崇拝行為)など全ての行いを無に帰させますが、小シルクの場合はそれを犯しつつ行った行為のみが無駄になります。例としては、人々の賞賛を求めてイバーダ(崇拝行為)をすることが挙げられます。人の目や耳、賞賛などを念頭に入れてサラー(礼拝)や施し(サダカ)やサウム(斎戒、いわゆる断食)などを行うことは、いわゆる見栄を張ることです。そして見栄 のために行った行為は無効となるのです。クルアーンの中で言及されているシルクという言葉は全て大シルクを指していますが、一方小シルクはスンナ[9]の中で数多くの伝承者によって語り継がれています。その内のいくつかを挙げてみましょう:
① 至高のアッラーは仰られました:-(ムハンマドよ、こう言うのだ)「私は、あなた方が崇拝すべきものはただ1つの神性であるという啓示を授かっただけの、あなた方同様の1人の男に過ぎない。ゆえに自らの主との面会を望む者はよき行いをし、その主に対するイバーダ(崇拝行為)においてシルクを犯してはいけない。」,(クルアーン18:110)
② アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言った:「アッラーの使徒はこう言いました:“祝福にあふれた至高のアッラーはこう仰られた:われは最もシルクを必要としないものである。われ以外のものにシルクを犯しつつ何らかの行為を行う者は、われがその行いと彼のシルクを放棄しよう。”」(ムスリムの伝承[10])
● またアッラー以外のものに誓いを立てることや、「アッラーと某がお望みになられたこと」「もしアッラーと某が折られなかったら…」「これはアッラーと某からのものだ」「私にはアッラーと某しかいない」などという言葉も、小シルクの一種と見なされます。このような間違いを犯さないためには、「アッラーがお望みになり、それから[11]某が望んだこと」という風に言うべきなのです。
1-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言われるのを聞きました:“アッラー以外のものにおいて誓いを立てた者は不信仰に陥ったか、あるいはシルクを犯したことになる。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[12])
2-フザイファ(彼にアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう語ったと伝えています:「“アッラーがお望みになり、そして某が望まれたこと”などと言ってはならない。“アッラーがお望みになり、それから某が望まれたこと”と言うのだ。」(アフマドとアブー・ダーウードの伝承[13])
● 小シルクはそれを犯す者の心の持ちようによっては、大シルクともなりえます。それゆえムスリムは、大小関わらず全てのシルクに注意するべきでしょう。というのもシルクはこれとないほど大きな不正なのであり、アッラーはそれを決してお赦しにはなられないのですから。至高のアッラーは仰られました:-実にアッラーはシルクをお赦しにはなられないが、それ以外のことであればお望みの者をお赦しになられる。,(クルアーン4:48)
● シルクと関連した言動とその媒介行為:
ある種の言動は人の心の持ちようとその出所によって、大シルクと小シルクの境界線上に位置しています。このような類のものはタウヒード信仰を否定し、その純粋性を損ないます。イスラームはこのような言動に対し、警告を与えます。その具体的例を挙げていきましょう:
1-災難の除去やその予防を意図して指輪やネックレス、ブレスレットや糸などを身につけること。これはシルクの1つです。
2-アインの予防としてビーズや骨、文字の書かれた紙など、あらゆる形状をとったお守りを身につけること。これもシルクの1つです。
3-何かを吉凶と関連付けること:ある種の鳥や人、場所などを不吉なものと考えることで、これもシルクの1つです。というのもこのような考えは益することもなければ害することもない被造物そのものから何らかの害悪が生じると考えることだからです。このようなものはシャイターン(悪魔)とそのささやきに因を帰すものであり、アッラーに対するタワックル(自らの身を完全に委ねること)を損ないます。
4-木や石、何らかの遺跡や遺品、墓などからいわゆるご利益を授かろうとしたり、あるいはそれらにそのような効果があると考えること:このような物からいわゆるご利益が得られると信じたり、あるいは実際にそう願ったりすることはシルクの1つです。というのも、全てのご利益はアッラーのみがその権能を有されているからです。
5-魔法:魔法とはその原因が謎めき秘密めいたものであり、呪文やまじない、祈祷の言葉などによって人の心身に働きかけるものです。それによって人は時に病にかかり、死に至り、あるいは夫婦の縁が裂かれたりします。魔法やシャイターン(悪魔)的行為であり、その多くはシルクを媒介とします。また魔法はシャイターン(悪魔)に依拠することや、不可知の領域に関する知識を標榜するところから見ても、シルクの1つです。至高のアッラーはこう仰られました:-そしてスライマーン(ソロモン)が不信仰に陥ったのではない。シャイターン(悪魔)こそが不信仰をはたらき、人々に魔法を教授したのである。,(クルアーン2:102)
また魔法は単なる呪文や薬剤の調合などである場合、大罪の1つであるアッラーの不服従ともなりえます。
6-占い:占いとはシャイターン(悪魔)を仲介として、未来に起こることを予言するなどといった、未知の領域に関する知識をでっち上げることを言います。これもまたシルクの1つです。というのもそこにはアッラーを差し置いて何か別のものを慕って接近することや、未知の領域に関する知識をアッラーと共有しているという詐称が存在しているからです。
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言われました:「占い師や巫女のもとを訪れてその言葉を信じた者は、ムハンマドに下されたもの(イスラームの啓示)に関して不信仰に陥ったのである。」(アフマドとアル=ハーキムの伝承[14])
7-占星術:占星術とは星座の状態でもって風や雨の時期、病気の発生や死の到来、寒暖や価格の変動など地上における様々な出来事を証明しようとする手段です。これもまた、宇宙の管理や未知の領域に関する知識においてアッラー以外のものの参与や共有を認めることにつながることから、シルクの1つと見なされます。
8-星に降雨の時期を関連付けること:これは降雨の時期を、ある星の出現や消滅と関連付けることです。そして「これこれの星が雨を降らせた」などと言って、降雨をアッラーではなく星々の恩恵であると考えることです。これもまた、雨の恩恵は星に限らずアッラー以外の何ものによるものでもないことから、シルクの1つなのです。
9-諸々の恩恵をアッラー以外のもののお陰と考えること:現世と来世における全ての恩恵はアッラーからのものであるので、それをかれ以外の何かに結びつけることは不信仰であり、アッラーに対してシルクを犯していることになります。例を挙げるなら、財の獲得や病からの回復などにおける恩恵をアッラー以外の何ものかのお陰としたり、陸や海や空を安全に移動できる恩恵を運転手や航海士やパイロットのお陰としたりすることがあります。また安寧の獲得や災害からの保護を、ある政府や個人や偉人のお陰とすることなどもここに含まれます。
全ての恩恵はアッラーのみに帰せられ、それゆえ私たちはかれに感謝しなければなりません。一方ある被造物のお陰で生じているように見える事柄は、その恩恵の単なる手段に過ぎないのです。それは結実するかもしれませんし、しないかもしれません。また益するかもしれませんし、あるいはしないかもしれません。
至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方を訪れる全ての恩恵は、アッラーからのものである。そしてあなた方に災難が降りかかると、あなた方はかれにのみ哀願する。,(クルアーン16:53)
● ニファーク(偽信性、あるいは偽善性)の種類:
① 大ニファーク(偽信性):つまり信条におけるニファークのことで、外面的にはイスラームを装っている一方で、内面においては不信仰を抱いているようなことを指します。このような類のものは不信仰者であり、来世においては地獄の業火の中でも最低の階層に放り込まれることになります。至高のアッラーはこう仰られました:-実に偽信仰者たちは地獄の業火の最下層に(放り込まれる定めである)。そしてあなた方は、彼らにいかなる援助者もないことを知るであろう。,(クルアーン4:145)
② 小ニファーク(偽善性):いわゆる行為におけるニファークのことで、それを犯す者はアッラーとその使徒に不服従を示していることになりますが、まだイスラームの範疇内に留まっています。アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「それが全て当てはまれば完全な偽善者となるところの、4つの性質がある。そしてそれらの内1つの性質でも当てはまれば、(その者は)それを放棄するまで偽善者の要素が1つ内在しているということになるのだ:(その4つとはつまり)信用されれば裏切ること、話せば虚言を吐くこと、約束すればそれを破ること、そして議論すれば荒々しく傲岸に振舞うことである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[15])
[1]訳者注:いわゆる主性。つまりこの世の創造や管理、所有や支配などに関する権威。
[2]訳者注:いわゆる神性。つまり真に崇拝されるべき権威。
[12] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(3251)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(2787)、スナン・アッ=ティルミズィー(1535)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(1241)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。
[13] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(2354)、アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(137)参照。スナン・アブー・ダーウード(4980)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(4166)、文章はアブー・ダーウードのもの。
เรื่องที่เกี่ยวข้อง ( 1 )