ละหมาดญะมาอะฮฺ
⑫サラート・アル=ジャマーア(集団礼拝)
● サラート・アル=ジャマーアが定められたことの英知:
サラート・アル=ジャマーアは、イスラームの数ある特色の中でも最も顕著な特色の1つです。それはあたかもイバーダ(崇拝行為)における天使の隊列のようであり、また統率された軍隊の行軍のようでもあります。またサラート・アル=ジャマーアは人々の間に親愛の念や互いに知り合う機会、相互の思いやりをもたらしますし、彼らの栄光や力や団結力の象徴とも捉えられます。
● 最も偉大なムスリム間の集い:
アッラーはムスリムが、決められた時間に集合するよう定められました。その中には以下のようなものがあります:
5回の義務のサラーのような、日々における昼夜の集まり。金曜日の集団礼拝のような、1週間に1度の集まり。2つのイード[1]のような、年に2度の集まり。ムスリム全体にとってのアラファ[2]の日のような、年に1度の集まり。雨乞いのサラーや日蝕・月蝕のサラーのような、状況の変化による集まり。
● サラート・アル=ジャマーアの法的位置づけ:
日々5回の義務のサラーにおいてサラート・アル=ジャマーアに参加することは、精神的に健常な全ての成人ムスリム男性にとっての義務です。それは旅行中であろうと定住状態であろうと、また安全な状態であろうと危険に晒されていようと同様なのです。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたが彼らと共に(戦闘状態に)ある時にサラー(礼拝)をするならば、(彼らを2つの集団に分け、その)1団をあなたと共に(サラーに)立たせ(もう1団を敵の方に向かって護衛させ)るのだ。そして(サラーをする1団には、護衛する者たちと同様に)武器を持たせよ。そして(サラー中の1団が)サジダ(跪拝)したなら、(護衛の1団を)あなた方(サラー中の1団)の後ろに廻らせ(て敵を監視させ)るのだ。それからまだサラーしていない1団に、あなたと共にサラーさせよ。そして(既にサラーを終えた1団に)護衛をさせ、武器を持たせるのだ。不信仰の輩はあなた方が武器や装備品をおろそかにし、それに乗じて一息のもとあなた方に飛びかかろうとしている。但し雨による困難や、あなた方が病気にある場合においては武器を置いても支障はない。しかし注意するのだ。実にアッラーは不信仰の民に、屈辱的な懲罰をご用意なされた。,(クルアーン4:102)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私の魂がその御手元にあるそのお方にかけて。私は焚き木を集めるよう命じ、それが集められてからサラーの開始を命じてアザーン(礼拝時間に入ったことを告げる呼びかけ)を唱えさせ、それから誰かにサラーを率いるよう命じ、私自身は(集団礼拝に参加せずに家に留まっている)男たちの家の裏から赴いて火をつけて焼き討ちにしてしまいたいと思う位なのだ。私の魂がその御手元にあるそのお方にかけて。あなた方の内のある者は、もし1本の太い骨や蹄の間の(僅かな)良い肉片がそこにあると知っていたなら、イシャー(夜のサラー)に参加するであろうに[3]。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の許にある盲目の男がやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ。誰も私をモスクに連れて行ってくれる人がいないのです。”それから彼はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に家で(義務の)サラーをしてもよいかと尋ね、その許可を得ました。そして彼がそこを立ち去ろうとした時、アッラーの使徒は彼にこう尋ねました:“(あなたの家では)サラーの呼びかけは聞こえるか?”男は言いました:“はい。”すると(預言者は)言いました:“それではそれに応じるのだ。”」(ムスリムの伝承[5])
● モスクでサラート・アル=ジャマーアに参加することの徳:
1-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「集団礼拝は単独のそれよりも27倍勝るのだ。」また別の言葉ではこうあります:「25倍勝るのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“家で体を清めてから、アッラーが定められた義務の1つ(サラー)を遂行するためにアッラーの家(モスクのこと)へと赴く者は、その片足の歩みの一歩毎にその罪が赦され、かつもう片足の一歩毎にその位階が上げられるであろう。”」(ムスリムの伝承[7])
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「朝夕にモスクに赴く者には、彼が朝夕に出かける度に、アッラーが天国における歓待をご用意下さるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
● どこでサラート・アル=ジャマーアを行うべきか?
ムスリムは、自分が住んでいる地区のモスクで義務のサラーを行うことが最善です。そしてそれに次ぐのが最も礼拝者の数の多いモスクで、それに次ぐのが最も遠いモスクです。但しマッカのハラーム・モスクとマディーナの預言者モスク、エルサレムのアクサー・モスクはその限りではなく、それらのモスクにおけるサラーは無条件に最上のものと見なされます。
● イマームが率いるサラート・アル=ジャマーアが既に終了してしまったモスクで、別のサラート・アル=ジャマーアを行うことは可能です。
● 前線にいる軍隊であっても、1つのモスクでサラーすることは推奨された行為です。しかしもし敵の出現の恐れがある場合は、集まった後も各自自分の持ち場でサラーします。
● 女性がモスクに行くことに関する法的見解:
女性がモスクのサラート・アル=ジャマーアに参加することは、合法です。但し男性からは完全に分断された、女性専用の場所があることが条件になります。
また女性の1人がイマームを務めるにしろ、あるいは男性がそうするにしろ、女性がサラート・アル=ジャマーアを行うことはスンナ[9]です。また、モスクに行くには昼よりも夜の方が好ましいとされます。
イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「女性が夜モスクに行く許しを請うたら、許してやるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10])
● サラート・アル=ジャマーアが有効となる人数は?
サラート・アル=ジャマーアは2人から有効となります。人数が多ければ多いほどサラーは優れたものとなり、かつ偉大かつ荘厳なるアッラーのお悦びに叶うものとなるでしょう。
● 単独でサラーを終えた後にサラート・アル=ジャマーアが始まった場合:
モスクにおいて単独で義務のサラーを終えた後、人々がやって来てサラート・アル=ジャマーアを開始した場合には、先に行ったサラーを任意のものと見なして彼らと共に義務のサラーを行うことがスンナです。またあるモスクでイマームと共にサラーをしたものの、別のモスクに入ったところ別のサラート・アル=ジャマーアに遭遇した場合も同様です。
● 義務のサラーが開始したら、任意のサラーは一切行いません。もし任意のサラーを行っている最中に義務のサラーが始まってしまったら、タクビーラトゥ・アル=イフラーム[11]に間に合うようそれを早めに済ませてから、そのサラート・アル=ジャマーアに参加します。
● サラート・アル=ジャマーアに参加しないことに関する法的見解:
病気や何らかの危険など、正当な理由ゆえにモスクにおけるサラート・アル=ジャマーアに参加しない場合は、それに参加してサラーした者と同様の報奨があるでしょう。一方正当な理由もなくサラート・アル=ジャマーアに参加せず単独でサラーを行った場合のサラーは有効ですが、偉大な報奨を失うと共に大きな罪を犯したことになります。
[1] 訳者注:「2つのイードの日」とは、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)のことです。
[2] 訳者注:「アラファ」とはヒジュラ暦12月の9日目、ハッジの巡礼者たちが赴くことを義務付けられているマッカ近郊の台地。この日この地でアッラーを念じ、タルビヤを唱え、祈り、犯した罪の赦しを乞う事は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「ハッジはアラファである。」という言葉が示す通り、ハッジのメインイベント的意味合いを持っています。
[3] 訳者注:この伝承は、集団礼拝に参加しない者たちに対する強い警告と非難を含んでいます。またその後半部分では、集団礼拝に参加しないある種の者たちは現世のつまらない物や僅かな利益に対しても非常な執着心を持っている一方、それよりずっと偉大な報奨をおろそかにしているとして叱咤しています。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(644)、サヒーフ・ムスリム(651)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[5] サヒーフ・ムスリム(653)。
[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(645,646)、サヒーフ・ムスリム(649,650)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[7] サヒーフ・ムスリム(666)。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(662)、サヒーフ・ムスリム(669)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[9] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(865)、サヒーフ・ムスリム(442)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[11] 訳者注:サラーを開始する際に行うタクビールのことです。