ഐശ്ചിക ദാനങ്ങള്
⑨任意のサダカ(施し)
● サダカが定められたことに潜む英知:
イスラームは弱者への慈悲や貧者への慰安として、経済的側面において他者に奉仕することや、奉仕や善行において預言者たちの高徳を身につけることを推奨しています。
● サダカの法的位置づけ:
任意のサダカは、自らと自らが扶養する者(もしいるのであれば)を賄うことにおいて余力がある者にとってのスンナです。またサダカは水が火を消し去るように、それを施す者の罪を消してくれるのです。
またサダカは特定の時期を問わずスンナですが、以下のような時期や状況においてより推奨されています:
1-特に推奨される時期:ラマダーン月や、ズー・アル=ヒッジャ月[1]最初の10日間など。
2-特に推奨される状況:冬の季節や、飢餓や旱魃が起きた時など、その必要が生じた時。また最良のサダカは、自分を良く思っていない近親に対するものです。
● サダカの徳:
1-至高のアッラーは仰られました:-昼に夜に、密かに露わに財を施す者たちには、その主の御許に報奨があるのである。彼らは恐れることもなければ、悲しむこともないのだ。,(クルアーン2:274)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“合法的なよい手段をもって稼いだ糧から施せば、それがナツメヤシの実1粒ほどのものであっても、アッラーは‐よきものであれば受け入れられるお方ゆえ‐それをその右手でもって受け入れられるであろう。そしてまるであなた方が子馬を山のよう(な大きさ)になるまで育てるように、かれはその施し(の報奨)を大きくされるであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2])
● サダカを施す際に最優先すべき人:
サダカを施す際に最優先されるべき人は自分の子供、家族、親類、隣人です。また最も良いサダカは自らと家族のためにするサダカです。
またサダカは、もしそれを受け取るのに決してふさわしくないような者に施したとしても、報奨があることには間違いありません。
● 最善のサダカは自分と自分の扶養者(もしいるのであれば)を十分賄えるだけのものを有する者の、しかもそれでいてとても余裕があるわけではない状態において努力して拠出するサダカです。
● 妻が夫の家から施すサダカ:
もし夫がそうすることを望むのを知っている場合、妻が夫の家から何かをサダカとして施すのは許されています。そして彼女には報奨の半分が与えられるでしょう。
但しもし夫がそう望まないことを知りつつ、夫の家の何かを施すことは禁じられています。そしてもし夫の了承のもとに何かを施すのであれば、彼女には夫と同様の報奨が与えられることでしょう。
● サダカをするのに最適な状況:
サダカは病気の時よりも健康な状態にある時に行う方が良いでしょう。しかし偉大かつ荘厳なるアッラーの御顔を求めてそうするのであれば、順境にある時よりも逆境にある時に行う方が良いでしょう。
至高のアッラーはこう仰られました:-そしてかれ(アッラーのこと)への愛ゆえに、恵まれない者や孤児や捕虜に食べ物を施す。(彼らはこう言う:)「私たちがあなた方に食事を与えるのは、アッラーの御顔ゆえ(を望んでのこと)なのだ。私たちはあなた方から見返りや感謝の言葉を期待しているわけではない。」,(クルアーン76:8-9)
● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、義務のザカーも任意のサダカも受け取るのを禁じられていました。またハーシム家と彼らに仕える者たちには義務のザカーの受給は禁じられますが、任意のサダカを受け取ることは禁じられていません。
● 非ムスリムに対するサダカ:
戦闘状態にあるのでなければ、親愛の念の喚起や害悪が生じることの防止策として非ムスリムにサダカを施すことも可能です。そしてそのことにより報奨も得ることでしょう。全てのいきとし生けるものに対する善行には、報奨があるのですから。
● 何かを乞われて与えること:
それがいかにつまらない物であっても、乞われたら与えてやることがスンナです。
ウンム・マジード(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「“アッラーの使徒よ、アッラーがあなたに祝福されますよう。私(の家)の扉の前に恵まれない者が立って(物乞いするのですが)、私には彼にやるような物が何もないのです。”すると(預言者は)言いました:“彼にやるような物が何もなくても、黒焦げになった蹄でもよいから彼の手に渡してやりなさい。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[3])
● 必要もないのに乞うことに対する懲罰:
1-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“人々に物乞いしていた者は審判の日、頬に全く肉が付いていない状態でやって来るであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“(必要もないのに)富の増加を望んで他人に財を乞う者は、実に(地獄の)炎を乞うているのである。ゆえに乞うことを控えるのも良いし、沢山乞う(ことでその報いを味わう)のも良いだろう。”」(ムスリムの伝承[5])
● 人に乞うことが出来る時:
何らかの重荷を課されたり災害や貧困に遭ったりし、しかも自分でそれを解決出来ないようなやむを得ない場合には、権力者に乞うことが許されます。それ以外のことで人に物を乞うことは、正しくありません。
サムラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「人に乞うことは、自らの顔を傷つける。ゆえに望む者にはそうさせ、望む者にはそれを放棄させよ。但し(イスラーム法において権威づけられた)権力者に乞うたり、やむを得ないことに関して乞うことは別である。」(アブー・ダーウードとアフマドの伝承[6])
● 慈善において多く施すことはスンナです。そうすることで財産は守られ、かつより一層の増加を望むことが出来るでしょう。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「毎朝しもべには2人の天使が遣わされる。彼らの内の1人はこう言う:“アッラーよ、施す者には代償をお与え下さい。”そしてもう1人はこう言う:“アッラーよ、(施しを厭う)吝嗇者には損失をお与え下さい。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7])
● 非ムスリムがイスラームに改宗すれば、それ以前に施したサダカの報奨を得ます:
ハキーム・ブン・ヒザーム(彼にアッラーのご満悦あれ)はある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にこう言いました:「“あなたは(イスラーム以前の)無明時代に私が勤めたサダカや奴隷の解放、親類縁者とのよい関係の構築などの善行を御覧になられたかと思います。果たしてそれらは私の報奨となるのでしょうか?”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“あなたは、あなたが以前行っていた善行を携えてムスリムとなったのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
● サダカの礼儀作法:
サダカはイバーダ(崇拝行為)であり、ゆえにそこにはいくつかの条件と礼儀作法があります。その主たるものを挙げてみましょう:
1-サダカの目的を、偉大かつ荘厳なるアッラーの御顔ゆえの真摯なものとすること。そして見栄や評判を気にすることなどによって、その純粋な意図を汚さないこと。
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“全ての行いには意図が伴う。そして人は、その意図したところのものによってその報いを得るのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[9])
2-サダカを、合法な手段でもって獲得したよき糧から拠出すること。アッラーはよきお方であり、ゆえによきものしかお受け入れにはなられません。
至高のアッラーは仰られました:-信仰者よ、あなた方が稼いだよきものと、われら(アッラーのこと)が大地からあなた方に恵んだものから施すのだ。そしてあなた方自身、目をつぶってでしか手にすることの出来ないような悪い物を、意図して施してはならない。アッラーが何も必要とされない、真に讃えられるべきお方であることを知るのだ。,(クルアーン2:267)
3-自分の所有物の中から良いもの、大事なものを選んでサダカすること。
至高のアッラーは仰られました:-自らが欲する物を施すまで、真の善に到達することは出来ない。そしてあなた方が施すいかなるものも、アッラーは全てご存知なのである。,(クルアーン3:92)
4-自分が施したものを誇大視せず、また自画自賛や自惚れの念を持たないこと。
至高のアッラーは仰られました:-より多くの見返りを見越して、施してはいけない。,(クルアーン74:6)
5-見返りや恩を着せる気持ちを抱いてサダカしたり、サダカを受け取る者に嫌な気分を味わわせたりしないこと。
至高のアッラーは仰られました:-信仰者よ。人々に対する見栄のために施す輩のように、恩を着せたり、見栄を張ったり、また悪い思いをさせたりすることでサダカを無駄にしてはいけない…,(クルアーン2:264)
6-何らかの福利がない限り、密かに施すこと。
至高のアッラーは仰られました:-サダカをあからさまに行えばそれもよいが、それを密かに貧者に施せば、それがあなた方にとってよりよいであろう。(アッラーは)あなた方の罪をお赦し下さる。アッラーはあなた方の行うことをご存知であられるのだ。,(クルアーン2:171)
7-気持ちよい心で微笑みながらサダカを施し、またザカーの徴収人が満足するような形で義務を遂行すること。
ジャリール・ブン・アブドッラー(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ザカーの徴収人があなた方の許を訪れて(徴収を終え)戻ってくる際には、彼が満足している状態であるようにせよ。”」(ムスリムの伝承[10])
8-存命中にサダカに勤め励み、また貧窮状態にある者に施すこと。そしてサダカに最優先すべきは貧しい親類縁者であり、そこにはサダカと親類に対する善行という2つの報奨があります。
① 至高のアッラーは仰られました:-そして死が訪れる前に、われら(アッラー)があなた方に授けた物の中から施すのだ。(その時人は悔やんで)こう言うのである:「主よ、もう少し(命の)猶予を与えてくだされば、きっと私は施しをして正しい者となるでしょうに。」,(クルアーン63:10)
② 至高のアッラーはこう仰られました:-そして血縁関係にある者は、アッラーの書(クルアーン)において互いに優先されるべきなのである。実にアッラーこそは全てをご存知のお方である。,(クルアーン8:75)
[1] 訳者注:ヒジュラ暦12月のこと。
[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(1410)、サヒーフ・ムスリム(1014)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[3] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1667)、スナン・アッ=ティルミズィー(665)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(1474)、サヒーフ・ムスリム(1040)。文章はムスリムのもの。
[5] サヒーフ・ムスリム(1041)。
[6] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1639)、ムスナド・アフマド(20529)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(1442)、サヒーフ・ムスリム(1010)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(1436)、サヒーフ・ムスリム(123)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[9] サヒーフ・アル=ブハーリー(1)、サヒーフ・ムスリム(1907)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[10] サヒーフ・ムスリム:「非合法なものを要求しない限り、ザカーの徴収人を満足させること」の節(989)。