മരണവും അനുബന്ധ കാര്യങ്ങളും
3-ジャナーザ(葬儀)
①死とそれに関する諸規定
● 死の定め:
永遠はアッラーだけのもので、アッラーは全ての被造物に死を定められました。
人間はいかに長生きしたとしても、いつかは死を迎えます。そして「耕作の場」から「収穫の場」へと舞台を変えるのです。その際には墓地が、来世における最初の住処となります。
そして病気にかかったムスリムを見舞い、他界したムスリムの葬儀に参加することはムスリムの義務です。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-言え、「あなた方が逃げようとしている死は、必ずあなた方のもとを訪れるのである。そしてあなた方は不可知の世界も現象界もご存知であられるお方のもとへと送り返され、かれはあなた方の(現世での)所業をあなた方に伝え聞かせるのである。」,(クルアーン62:8)
2-また至高のアッラーはこう仰られました:-あなた方がどこにあろうと、死は訪れる。例え堅固な砦に閉じこもっていたとしても。,(クルアーン4:78)
● 病人がすべきこと:
病人はアッラーの定めを信じ、その定命に辛抱強くなければなりません。そして主が自分にとって事を良い方に運んで下さるという希望的な考え方をすべきであり、心持は常に悲観と楽観の中間にあるよう心がけます。また死を望んではならず、至高のアッラーと人々の権利に対して義務を果たすようにします。
また遺書をしたため、自分の相続人にはあたらないような親族には遺産の3分の1かそれ以下‐そしてそれが最善でしょう‐に相当する額を遺言するようにします。
また合法的な治療法や薬剤を使用するようにします。
● 病人はその症状を、まずアッラーに訴えるのがスンナ[1]です。主以外の誰かにその症状を説明するのは問題ありませんが、自分を襲った不幸に対して不服や立腹などを帯びないようにします。
● 死を望むこと:
アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“何らかの被害ゆえに、死を望んではならない。もしそうせずにはいられないのなら、こう言うのだ:「アッラーよ、生が私にとって最善である限り、私をお生かし下さい。そして死が私にとって最善であるのなら、私をお召し下さい。」”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2])
● 死への備え方:
ムスリムは普段から死に備え、死を想起しなければなりません。
死に備えて準備するということは、罪から悔悟し、現世よりも来世を優先し、不正を放棄し、服従行為でもってアッラーへと向かい、禁じられた物事を回避することです。
また病人を見舞い、罪からの悔悟や遺言を促すことはスンナです。
またその必要に迫られ、かつ危険性がない場合を除いては、非ムスリムではなくムスリムの医師のもとで治療することがよいでしょう。
● 臨終にある者への教示:
臨終にある者に「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)」と唱えて想起させつつ、シャハーダ(信仰告白の言葉)を口にさせることはスンナです。またそのような者のためにドゥアー(祈願)し、その面前では良いことしか語らないようにすることもスンナです。
またイスラームへといざなうことを目的に臨終にある非ムスリムのもとを訪れ、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)と言って下さい」と言うのも良いでしょう。
● よい終焉の徴候:
① 臨終の際にシャハーダ(信仰告白)を口にすること。
② 信仰者が額に汗をかきながら他界すること。
③ アッラーの道における死、あるいは殉教。
④ アッラーの道において、前線の守備に携わっている最中の死。
⑤ 自らの生命や財産や家族を守るために命を失うこと。
⑥ 胸膜炎や結核による死。
⑦ 伝染病や腹部の病による死。
⑧ 溺死や焼死、建物の崩壊による事故死。
⑨ 出産が原因で女性が産褥死することや、妊娠が原因で死亡することなど。
⑩ 正しい行いゆえに遭遇した死。
以上のことは正しい伝承の中で確実視されているものです。
● 死の理解:
ムスリムは常に死を想起しなければなりませんが、その際に死を家族や愛する人たち、現世の享楽などとの別離という風に捉えてはいけません。このような視点は不完全なものであり、後悔や悲しみを増加させるだけです。そしてそのような者は死の際に、現世における色々な執着心に囚われるのです。
むしろムスリムは死というものを、来世に向けての耕作や仕事の終了期と見なさなければなりません。こうしてムスリムは来世に向かって準備し、至高のアッラーゆえに更なる努力をすることが出来るのです。
● ムスリムは死に臨む際、至高のアッラーに対して楽観的であるべきです。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「偉大かつ荘厳なるアッラーに対して、楽観的でない状態において死んではならない。」(ムスリムの伝承[3])
● 死の徴候:
人の死には以下のような印があります:①こめかみが下がること。②鼻が緩くなること。③手首の関節が緩くなること。④脚部の弛緩。⑤眼球の停止。⑥身体が冷たくなること。⑦魂の離脱。
● ムスリムが息を引き取った時にすること:
1-ムスリムが息を引き取ったら瞼を閉じ、その際にこうドゥアー(祈願)するのがスンナです:「アッラーよ、何某をお赦し下さい。そして導かれた者たちの中においてその位階を上げ、その墓の中を広くし、そこを光で満たして下さい。彼の亡き後、残された者たちに彼を継ぐ者をお与え下さい。万有の主よ、私たちと彼をお赦し下さい。」(ムスリムの伝承[4])
それから(男性ならば)あごひげを帯などで締めつけ、関節を優しく解きほぐし、地面から持ち上げます。そして衣服を脱がせ、身体を全部覆ってから全身洗浄に入ります。
2-他界した者の借金返済や、その遺言の実行、埋葬の準備や葬儀のサラー、また亡くなった地に埋葬することなどをなるべく早急に行うのはスンナです。またその場に居合わせたり、そこを訪れたりした者に故人の顔を見せ、キスさせ、哀悼させることは許されています。
● 故人がザカー(浄財)やナズル[5]、贖罪やハッジ(大巡礼)の義務などのアッラーに対する権利を果たさずに他界してしまった場合、残された者たちはそれらを遺産相続や借金の返済などに優先させて代行しなければなりません。というのも最も遵守すべきものはアッラーに対する権利であるからです。尚信仰者の魂は、その借金の義務が果たされるまでその身体から離れられません。
● 女性は自分の子供やその他の者の死去にあたり、3日間の喪に服すことが出来ます。また夫に関しては4ヶ月と10日間の喪に服すことが可能です。また審判の日、女性は最後に夫婦であった夫の妻と見なされます。
● 故人の親族その他の者は、故人の死に悲嘆にくれて泣き喚いたりすること‐ただ単に涙を流して泣くことはこの限りではありません‐を禁じられています。誰かがその死を悲しんで泣き喚く時、故人はその墓の中で懲罰にあわなければならないのです。また不幸が起こった際に頬を叩いたり脇腹を引っ掻いたり、髪を掻き毟ったりすることも禁じられています。
● 死を人々に告知すること:
人々が葬儀とそのサラーに参加出来るよう、故人の逝去を告知するのはスンナです。またそれを告知する者は人々に、故人の罪が赦されるように祈るのを依頼することを推奨されます。また誰かの死を誇示し尊大ぶった形で告知することは禁じられています。
● 不幸に見舞われた者のすべき言動:
故人の親族及びその他の者はその不幸を耐え忍び、かつその定めを快く受け入れ、そうすることでの報奨を望み、イスティルジャーゥ[6]を唱えることがスンナです。
1-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻の1人であるウンム・サラマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“不幸に遭った際に、「私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。アッラーよ、この不幸において私に報奨をお恵み下さい。そしてその代わりに、もっと良きものをお与え下さい」と唱えるしもべは、アッラーによってその不幸ゆえに報奨を与えられ、かつそれで失ったものよりも良いものを授けられるであろう。”」(ムスリムの伝承[7])
2-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“成年前の3人の子供に先立たれたムスリムは、アッラーの彼らに対するこの上ないご慈悲により、天国に入ることであろう。”」(アル=ブハーリーの伝承[8])
● 不幸や災難における「サブル(耐え忍ぶこと)」とは、心が不安定な状態に陥らないようにし、口が愚痴を発するのを抑え、身体が禁じられた行い‐頬を叩いたり、脇腹を掻き毟ったりすることなど‐へと走るのを押し留めることです。
● 死体の解剖に関して:
犯罪や伝染病の疑いの検証などのためにムスリムの死体を解剖することは、許されています。そうすることで社会の安全と公正、感染性の危険な病気に対する予防などの福利が期待出来るからです。
[1] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(6351)、サヒーフ・ムスリム(2680)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[3] サヒーフ・ムスリム(2877)。
[4] サヒーフ・ムスリム(920)。
[5] 訳者注:「ナズル」とは至高のアッラーの偉大さを讃える意味で、自らに何らかの合法的な物事の実行を課すことです。
[6] 訳者注:「イスティルジャーゥ」とは-私たちは実にアッラーにこそ属し、そして彼の御許へと還り行く境遇にあります。,(クルアーン2:155-157)と唱えることです。
[7] サヒーフ・ムスリム(918)。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(1248)。