Monotheism
1-タウヒード(アッラーの唯一性に関する信仰)
● タウヒードとは:アッラーが、かれのルブービーヤ[1]とウルーヒーヤ[2]そしてかれの美名と属性において唯一無二であるということを確信することです。
● その意味は:しもべが以下のことを確信し、承認することです:アッラーが全てのものの唯一の主であり、所有者であること。そしてかれが唯一の創造主であり、かれが全世界の唯一の管理者であること。また至高のかれのみが崇拝されるにふさわしい唯一のお方であり、そこにおいてかれに並ぶものは存在しないこと。かれ以外に崇拝されるもの全ては虚無であること。そしてかれこそが完全なる属性を有し、あらゆる短所や欠陥から無縁であり、美名と気高い属性を有するということ。
2-タウヒードの種類
● 預言者たちは人々をタウヒードへといざない、諸啓典はタウヒードと共に下されました。このタウヒードには2つの種類があります:
①知識と承認におけるタウヒード:これはタウヒード・アッ=ルブービーヤと美名と属性のタウヒードと呼ばれるもので、つまり至高の主の本質の真実と、かれの美名と属性と行為におけるアッラーの唯一性を承認することです。
その意味は:しもべが以下のことを確信し、認めることです:アッラーこそがこの世の唯一の創造主、所有者、支配者、管理者であり、その本質と美名と属性と行為において完全なるお方であること。またあらゆることを知り尽くされ、全てを包囲され、王権はかれの御手のもとにあり、かつ全能のお方であること。そして美名と気高い属性を有されるお方であることです:-かれ(アッラーのこと)はなにものにも似ていない。それにも関わらず、かれは全聴にして全てを見通されるお方なのである。,(クルアーン42:11)
②意図し求めることにおけるタウヒード:タウヒード・アル=ウルーヒーヤとイバーダ(崇拝行為)におけるタウヒードと呼ばれるものです。これはドゥアー(祈願)やサラー(礼拝)、畏怖や願望などあらゆるイバーダ(崇拝行為)においてアッラーのみを唯一化することです。
その意味は:しもべが以下のことを確信し、認めることです:アッラーこそがあらゆる被造物に対して神性を有する唯一のお方であり、崇高なるかれこそが唯一崇拝される権利を有するということ。ゆえにドゥアー(祈願)やサラー(礼拝)や、アッラーのみが権能を有される事柄において救いを求めること、また同様にタワックル(身を完全に委ねること)や畏怖や願望の念、また犠牲や誓いなどあらゆるイバーダ(崇拝行為)はただアッラーに対してのみ向けられなければならず、何か別のものに逸らせてはならないということ。そしてイバーダ(崇拝行為)をアッラー以外の何ものかに対して向ける者は、ムシュリク[3]であり不信仰者であるということ。これは崇高なるアッラーが、以下のように仰られた通りです:-そして(その正当性に)何の論拠もない他の神をアッラーに並べて祈願する者の報いは、かれの主(アッラーのこと)の御許にある。本当に不信仰者たちには勝利はない。,(クルアーン23:117)
● 多くの被造物(人間)はタウヒード・アル=ウルーヒーヤとイバーダ(崇拝行為)を信じず、否定しました。アッラーが預言者たちを人々へと遣わし、彼らに啓示を下したのは、ひとえにアッラーのみを崇拝し、かれ以外のいかなるものに対する崇拝行為も放棄することを命じるためであったのです。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-本当にわれら(アッラーのこと)は、各々の民に使徒を遣わして、「アッラーを崇拝し、ターグート[4]を避けなさい。」と命じた。,(クルアーン16:36)
● タウヒードの本質とその核心:
あらゆる物事は至高のアッラーからのものであると捉え、それらの物事の原因や手段などアッラー以外のものに気を煩わせないこと。つまり善悪も害益も全て至高のアッラーからのものであると捉え、崇高なるアッラーをイバーダ(崇拝行為)において唯一化し、かれと共に何ものをも崇拝しないということです。
● 真のタウヒードの成果:
アッラーのみに身を委ねること。被造物に対する不平不満と、彼らを咎めだてすることの放棄。至高のアッラーへの満足とかれへの愛。そしてかれの采配の全面的受諾。
● 人間はその天性によって、またこの世を観察することによって、タウヒード・アッ=ルブービーヤを認めています。しかしタウヒード・アッ=ルブービーヤを認めるだけでは、アッラーへの信仰とその懲罰からの救いにまでは至りません。というのもそれは、イブリース(悪魔)やムシュリクたちすらも認めていたことなのです。彼らのこの承認が彼らにとって何の役にも立たなかったのは、アッラーのみを崇拝するというタウヒードを拒否したことによるのです。
それゆえタウヒード・アッ=ルブービーヤを認めただけでは、タウヒードを実践する者にもイスラーム教徒にもなったとは言えません。つまりアッラー以外に崇拝すべきものはなく、かれに並ぶ何ものもないと信仰告白し、アッラーのみがイバーダ(崇拝行為)を捧げるに真に相応しい存在であると認め、かつかれにいかなるものも並べることなくかれのみへのイバーダ(崇拝行為)を遵守するというタウヒード・アル=ウルーヒーヤを認めるまでは、彼の生命も財産も侵すべからざる神聖なものとはならないのです。
● タウヒード・アッ=ルブービーヤとタウヒード・アル=ウルーヒーヤは不可分である:
① タウヒード・アッ=ルブービーヤはタウヒード・アル=ウルーヒーヤを要求します。ゆえにアッラーのみが創造主であり、支配者であり、糧を授けられるお方であると認める者は、アッラーのみがイバーダ(崇拝行為)の対象となる権利を有されることを認めなければなりません。それゆえアッラー以外の何ものかにドゥアー(祈願)したり、かれ以外のものに救いを求めたり、かれ以外のものに身を委ねたりしてはならないし、またいかなる種類のイバーダ(崇拝行為)もアッラー以外のものに対し行ってはならないのです。またその逆もまた真で、タウヒード・アル=ウルーヒーヤはタウヒード・アッ=ルブービーヤを要求します。つまりアッラーのみを崇拝し、かれに何ものをも並べない者は、アッラーが彼の主であり、創造主であり、支配者であることを既に確信していることになるのです。
② アッ=ルブービーヤとアル=ウルーヒーヤはしばしば一緒に言及されますが、その意味は異なっています。つまり「アッ=ラッブ(主)」は養育者、所有者、支配者という意味ですが、「アル=イラー(崇拝される存在)」は、真に崇拝される権利を有する唯一のもの、という意味なのです。崇高なるアッラーはこう仰られています:-言うのだ。「ご加護を請い願う。人々のラッブ(主)、人々の王、人々のイラー(真に崇拝すべきもの)に。」,(クルアーン114:1-3)
またこの2つは時として各々別個に言及されもしますが、意味が類似している場合もあります。崇高なるアッラーは次のように仰られています:-言ってやるがいい。「アッラーは全てのもののラッブ(主)であられるというのに、私がアッラー(アル=イラー:真に崇拝すべきもの)以外のラッブ(主)を求めることなどあろうか。」,(クルアーン6:164)
● タウヒードの徳:
1-至高のアッラーは仰られました:-信仰に入り、自分の信仰にシルクを混じえない者。彼らこそは安泰であり、正しく導かれた者たちである。,(クルアーン6:82)
2-ウバーダ・ブン・アル=サーミト(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は仰られました:「並ぶものなきアッラー以外に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはアッラーのしもべであり使徒であり、イーサー(イエス)はアッラーのしもべでありかれの使徒であり、また彼はアッラーの命によりマルヤム(マリア)へと吹き込まれた御言葉かつ魂であり、また天国は真実であり、地獄は真実である、と証言した者は、アッラーが彼をその行為に応じて天国へと入れて下さるだろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
3-アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように仰られるのを聞きました:『至高のアッラーは仰られた:“アーダム(アダム)の子よ、あなたがわれにドゥアー(祈願)し、われに希求する限り、われはあなたがどのような(罪に汚れた、ひどい)状態であろうとその罪を赦し、そして大目に見てやるだろう。アーダム(アダム)の子よ、例えあなたの罪が空の雲ほどまで達するものであっても、われに赦しを請うのであれば、われはあなたを赦し、そして大目に見てやるだろう。アーダム(アダム)の子よ、例えあなたが地上を満たすほどの過ちを携えて来ても、われに対してシルクを犯すことのないままわれにまみえたのなら、われは地上を満たすほどの赦しをあなたに与えよう。”』」(アッ=ティルミズィーの伝承[6])
● タウヒードの徒の報奨:
1-至高のアッラーは仰られました:-信仰して善行に勤しむ者たちには、彼らのために、川が下を流れる楽園についての吉報を伝えよ。彼らはそこで果実の糧を与えられるたびに「これは私たちが以前与えられていたものだ。」と言う。彼らには(見た目は現世での果実に)似たものが授けられる(が、その味は全く異なっている)。またそこには彼らのために、純潔の配偶者がいる。彼らはそこに永遠に住むのである。,(クルアーン2:25)
2-ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに男がやって来て、言いました:「アッラーの使徒よ、2つの確実なこと[7]は何か?」すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は仰られました:『アッラーと共にいかなるものも並べずに死んだ者は天国へ入り、アッラーに何ものかを並べて死んだ者は地獄に入るということだ。』(ムスリムの伝承[8])
● タウヒードの言葉の偉大さ:
アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は仰られました:「アッラーの預言者であるヌーフ(ノア)(彼に平安あれ)は、彼の死期が近づいた時に息子に言った:『私はお前に遺言を伝える:私はお前に2つのことを命じ、2つのことを禁じよう。私はお前に、“アッラー以外に崇拝すべきものはなし”の言葉を命じる。本当に7層の天と7層の大地が秤の一方に置かれ、もう一方に“アッラー以外に崇拝すべきものはなし”の言葉が置かれたとしても、“アッラー以外に崇拝すべきものはなし”の言葉の方が重いのである…(またもう1つ命じるのは)“崇高なるアッラー、かれを讃えます”の言葉である。実にそれは万有の祈願であり、それによって被造物は糧を得るのだ。そして私はお前にシルクと、奢り高ぶることを禁じる…](アハマドとアル=ブハーリーの伝承[9])
● タウヒードの完遂:
タウヒードは、並ぶもののないアッラーのみを崇拝し、かつターグート(下記参照)を避けることによってのみ完遂されます。崇高なるアッラーはこう仰られました:-本当にわれら(アッラーのこと)は、人々にアッラーを崇拝しターグートを避けさせるべく、各々の民に1人の使徒を遣わした。,(クルアーン16:36)
● ターグート:
ターグートとは、偶像などのような崇拝物であれ、占い師や非道の学者などのように人々が依拠・追従する人たちであれ、あるいはアッラーへの服従から逸脱した王侯や首領などの指導者たちであれ、アッラーのしもべがそれらにおいてタウヒード信仰の規範を超えてしまっている全ての対象を指します。
● ターグートは無数であり、その代表的なものは5種類です:
① イブリース(悪魔の長)-アッラーが私たちを彼から守って下さるよう-
② 崇拝され、そうされることに満足する者
③ 人々を自らの崇拝へといざなう者
④ 不可知の領域に関する知識を所有すると主張する者
⑤ アッラーが下されたもの(つまりイスラーム法規定)以外のもので裁く者
[1] 訳者注:いわゆる主性。つまりこの世の創造や管理、所有や支配などに関する権威。
[2] 訳者注:いわゆる神性。つまり真に崇拝されるべき権威。
[3] 訳者注:「ムシュリク」とはシルクを犯す者のことであり、「シルク」とはアッラーのみが専有される特質において、かれ以外の何ものかをかれに同位させることをいう。詳しくは「4.シルク」の章参照のこと。
[4] 訳者注:「ターグート」はアッラー以外に崇拝されるあらゆるものを指す。詳しくはこの章の最後に説明されている。
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(3435)、サヒーフ・ムスリム(28)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[6] 真正な伝承。スナン・アル=ティルミズィー(3540)、サヒーフ・スナン・アル=ティルミズィー(2805)。
[7] 訳者注:つまり天国行きを確実なものにすることと、地獄行きを確実なものにすることの2つの要素(アル=ナワウィーのサヒーフ・ムスリム注釈より)。
[8] サヒーフ・ムスリム(93)。
[9] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(6583)、アル=ブハーリーのアル=アダブ・アル=ムフラド(558)、サヒーフ・アル=アダブ・アル=ムフラド(426)。アル=アルバーニーのアル=スィルスィラト・アル=サヒーハ(134)も参照のこと。