অজু
4-ウドゥー
● ウドゥーとは:法的に決められた形に従って、清浄な水を用いて4つの器官を洗浄することです。
● ウドゥーの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はファジュル(夜明け前)のサラー(礼拝)の時、ビラールにこう言いました:“ビラールよ、あなたがイスラームにおいて最も(アッラーからの報奨を)望んで行った行いを教えてくれ。実に私は天国で、私の前を行くあなたの足音を聞いたのだが。”(ビラールは)言いました:“私は夜でも昼でもウドゥーをした際には、その清浄な状態の内に自らに定められたサラーを行いました。それ以外に私がイスラームにおいて最も(アッラーからの報奨を)望んで行った行いはありません。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1])
● ニーヤ(意図)の重要性:
ニーヤは行いが正しく有効なものとなり、それが受け入れられ、かつ報奨の対象となるための1条件です。そしてそれを行う場所は心の中であり、全ての行いにはニーヤが付随します。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「実にいかなる行いもニーヤが付随しないことはない。そして人は、ニーヤしたところのものを得るのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2])
● イスラームにおけるニーヤとは:至高のアッラーゆえに、あるイバーダ(崇拝行為)を行うと決心することです。ニーヤには2種類あります:
1-行為に対するニーヤ:ウドゥーやグスル[3]、サラーなどを行うと決心することを指します。
2-行為の対象に対するニーヤ:対象とは、偉大かつ荘厳なるアッラーのことです。つまり至高のアッラーのみを望んでウドゥーし、グスルし、サラーすることを意図することです。これは1番目のものよりも重要です。
● 行いが受け入れられるための2つの条件とは:①その行いを至高のアッラーのためだけに真摯に行うこと、②それをアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が行ったように行うこと、です。
● イフラース(真摯さ)の意味:
イフラースとは、しもべの行いが被造物に対する意識からアッラーだけのためのものへと純化されることにより、その内面と外面においてバランスがとれることです。そしてイフラースに忠実であることは、しもべの内面が外面よりも成熟することを意味します。イフラースを身につければ、主はしもべにお目をかけ、その心を活気付け、かれの方へとお引き寄せになられるでしょう。また主は彼を服従行為へと傾かせ、反逆行為からは遠ざけて下さるでしょう。一方イフラースを欠く心はそうではなく、時には権欲、また時には金銭などの要求や愛情や欲望にとらわれています。
● ウドゥーのファルド[4]は以下の6つです:
① 顔を洗うこと:うがいや鼻の洗浄も含まれます。
② 肘から指先まで、両腕を洗うこと。
③ 頭部を濡れた手で撫でること。両耳も拭きます。
④ 両足をくるぶしまで洗うこと。
⑤ 上記の順番通りに行うこと。
⑥ 上記のことを途中で長く間を置いたりせず、連続して行うこと。
● ウドゥーのスンナ[5]:
スィワーク[6]。初めに両手を3回洗うこと。顔を洗う前に、うがいと鼻の洗浄をすること。ひげが沢山ある場合、その間にきちんと水を通すこと。各部位の洗浄において右側から始めること。各部位を2回3回と繰り返し洗うこと。ウドゥーの後にドゥアー(祈願)すること。ウドゥー後に2ラクアのサラーをすること。
● ウドゥーに使用する水の量:
体の各部位を洗浄する際、同じ部位を3回以上洗わないことがスンナです。また1ムッド[7]の水で1回のウドゥーを済ませ、水を無駄遣いしないこともスンナです。ウドゥーにおいて水を無駄遣いすることは法の違反であると言えます。
● 眠りから目覚めた者で、容器を用いてウドゥーする場合は、その前に両手を3回洗わなければなりません。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「眠りから覚め(てウドゥーをしようと思っ)たら、両手を3回洗うまでは容器の中に手を入れてはいけない。というのも彼は寝ている間、その手がどこにあったかを知らないからである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
● 一番簡単なウドゥーの形:
まずウドゥーをするニーヤを立て、うがいをし、鼻を洗浄します。そして顔を洗い、指の先から肘を含む両腕を洗います。それから頭部と両耳を濡れた両手で拭き、両足をくるぶしまで洗います。各部位につき1度ずつ洗浄し、水を満遍なく行き渡らせます。指の間もきちんと洗います。
● 完全なウドゥーの形:
まずウドゥーをするニーヤを立て、両手を3回洗い、片手を用いてうがいをし、鼻を洗浄します。その際、片手にすくった水の半分をうがいに、もう半分を鼻の洗浄に用いるようにし、それを3回繰り返します。そして顔を3回洗い、右腕を指先から肘まで3回、左腕も同様に3回洗います。それから濡れた両手で前頭部から後頭部へと1回撫で、そして今度は後頭部から前頭部へともう1回撫でます。そして両手の人差し指で両耳の内側を、親指で外側を拭います。それから右足をくるぶしまで3回、同様に左足を3回洗います。そして後に示す預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のドゥアー(祈願)をもって祈願します。
● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のウドゥーの形:
ウスマーン(彼にアッラーのご満悦あれ)によって奴隷の身分から解放されたフムラーンによれば、ウスマーン・ブン・アッファーン(彼にアッラーのご満悦あれ)が(水の入った)容器を持って来させ、両手に水をかけて3回洗い、それから右手を容器の中に入れてうがいをし、鼻を洗浄(水を吸い込んで、噴出すこと)し、顔を3回洗い、それから両手を肘まで3回洗い、頭を撫で、両足をくるぶしまで3回洗うのを見ました。そして彼(ウスマーン)はこう言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“この私のウドゥー(のやり方)でウドゥーをし、それから雑念にとらわれることなく2ラクアのサラーをする者は、それ以前に犯した彼の罪を赦されるであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[9])
● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はウドゥーにおいて体の各部位を1回ずつ、あるいは2回ずつ、あるいは3回ずつ洗浄したことが伝承の中で確証されており、それらは全てスンナです。そして最もよいのは、時にはこれ、また時にはこれ、といった風に多様性を持たせ、各スンナを常に新鮮な形に保っておくことです。
1-イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は(各部位を)1回ずつ(洗いながら)ウドゥーしました。」(アル=ブハーリーの伝承[10])
2-アブドッラー・ブン・ザイド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(各部位を)2回ずつ(洗いながら)ウドゥーしました。(アル=ブハーリーの伝承[11])
● 人間の行いには2種類あります:
1つは:身体の右側と左側両方で行うことが可能なもの。それでもしその行いがウドゥーやグスル、衣服や靴の着用、モスクや家に入ることなどといった高等な物事であれば、体の右側を優先させます。そしてその逆に、モスクから出る時や靴を脱ぐ時、あるいはトイレに入る際などには、体の左側を優先させるのです。
もう1つは:身体の右側、あるいは左側どちらか片方でしか出来ないもの。例えば飲食や握手、物の受け渡しなど高貴な物事については、右手で行います。そしてその逆にイスティジュマール(石や紙などによって、排泄器官から出た物質を除去すること)や性器に触れたり、鼻をかんだりする際には、左手を用いるのです。
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は靴を履いたり、髪を櫛で梳かしたり、体を洗浄することやその他全てのことにおいて、右側から始めることを好みました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12])
● ウドゥーを終えた後のドゥアー(祈願):
1-ウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ウドゥーをし、“アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワフダフ・ラー・シャリーカ・ラフ、ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、いかなる共同者も有さないアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのアッラーの使徒であることを証言する)”と言う者には8つの天国の扉が開け放たれ、その内の望むいかなる所からでも入ることが出来るであろう。」(ムスリムの伝承[13])
2-アブー・サイード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました: “ウドゥーをし、「アッラーよ、その賛美と共にあなたの栄光を称えます。あなた以外に真に崇拝するに値するいかなるものもありません。私はあなたに罪の赦しを乞い、悔悟します」と言う者には、(善行の)巻物にそれが記録され、そしてそれは封印されて審判の日まで損なわれることはないであろう。”」(アン=ナサーイーとアッ=タバラーニーの伝承[14])
● ウドゥーをした後に、陰部に水を振りかけても問題はありません。また濡れた体の部位を布や紙などで拭くことも出来ます。
[1] サヒーフ・アル=ブハーリー(1149)、サヒーフ・ムスリム(2458)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(1)、サヒーフ・ムスリム(1907)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[3] 訳者注:「7.グスル」の項を参照のこと。
[4] 訳者注:あるイバーダ(崇拝行為)において欠かすことの出来ない構成要素で、その内のどれかが欠如するとその行い自体が無効となるようなことです。
[5] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[6] 訳者注:歯磨き用に用いる、ある特定の種類の小枝のこと。
[7] 訳者注:ムッドは両手一杯に相当する量(およそ688ml)を指し、1サーアの4分の1にあたります。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(162)、サヒーフ・ムスリム(278)。文章はムスリムのもの。
[9] サヒーフ・アル=ブハーリー(159)、サヒーフ・ムスリム(226)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(157)。
[11] サヒーフ・アル=ブハーリー(158)。
[12] サヒーフ・アル=ブハーリー(168)、サヒーフ・ムスリム(268)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[13] サヒーフ・ムスリム(234)。
[14] 真正な伝承。アン=ナサーイーの「アマル・アル=ヤウム・ワ・アッ=ライラ」(81)、アッ=タバラーニーの「アル=アウサト」(1478)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2333)参照。