കിത്താബുല് ഫളായില്- നബി(സ്വ)യുടെ സ്വഹാബികളുടെ ശ്രേഷ്ഠതകള്
8-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のサハーバ(教友)の徳
● サハーバ(教友)の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてムハージルーンとアンサール[1]の先駆けた先人たちと、イフサーンをもって彼らを踏襲した者たちは、アッラーがお悦びになられ、彼らもアッラーに満足する。そして(アッラーは)彼らのために、その下を河川が流れる天国をご用意された。彼らはそこに永遠に留まる。それこそはこの上ない偉大な勝利なのだ。,(クルアーン9:100)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私のサハーバ(教友)を中傷するのではない。私のサハーバ(教友)を中傷するのではない。私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。例えあなた方がウフド山ほどの金塊を施したとしても、彼らの施した両手一杯分のものはおろか、その半分にも達することはないからである。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2])
● ムハージルーンとアンサール[3]の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(戦利品は)、(マッカの)家と財を(剥奪され)追い出されたムハージルの困窮者たちに(も振り当てられる)。彼らはアッラーからの豊かなお恵みとかれのご満悦を望み、アッラーとかれの使徒を援助する。彼らこそは全き信仰者たちなのである。また(戦利品は、)彼ら(の移住)より先に(マディーナにおいて)住居とイーマーンを堅固なものとしていた者(アンサール)たち(にも割り当てられる)。彼らはムハージルを愛し、彼ら(ムハージル)が与えられるもの(戦利品のこと)に対して妬んだりすることもない。彼らは例え自らがその必要があったとしても、ムハージルの方を彼ら自身より優先するのだ。そして自らの吝嗇さを抑制する者こそは、成功者なのである。,(クルアーン58:11)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして信仰し、移住し、アッラーの道において奮闘した者たち。また住処を提供し、援助した者たち。彼らこそは真の信仰者である。彼らには(アッラーからの)お赦しと、天国の報奨があろう。,(クルアーン8:74)
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“もしヒジュラがなかったら、私はアンサールの一員であったろう。そしてもし人々が谷を行き、アンサールが谷あるいは山道を行くのなら、私はアンサールの谷あるいは山道を行ったであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
● 正しく導かれたカリフたちの徳:
1-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は壁の内側に入り、私にその扉の警備を命じました。すると1人の男がやって来て、(扉の内側に入る)許可を請いました。すると(預言者は)言いました:「“中に入れよ。そして彼に天国のよき知らせを伝えるのだ。”そしてその男はアブー・バクルでした。それからまた別の男がやって来て、(扉の内側に入る)許可を請いました。すると(預言者は)言いました:「“中に入れよ。そして彼に天国のよき知らせを伝えるのだ。”そしてその男はウマルでした。それからまた別の男がやって来て、(扉の内側に入る)許可を請いました。すると(預言者は)少し沈黙し、それから言いました“中に入れよ。そして彼に、彼を将来襲うであろう試練と引き換えの天国のよき知らせを伝えるのだ。”そしてその男はウスマーン・ブン・アッファーンだったのです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
2-サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はタブークの遠征の折に、アリー・ブン・アビー・ターリブをマディーナに留まらせ、彼の(不在中の)代理としました。するとアリーは言いました:“アッラーの使徒よ!私に女子供と一緒に控えていよと仰るのですか?”すると(預言者は)言いました:“あなたが私にとって、ムーサー(モーゼ)にとってのハールーン(アーロン)のような地位にあることを喜ばないのか?ただ私の後に預言者はないのではあるが。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6])
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(ある時、)アブー・バクルとウマルとウスマーンとタルハとアッ=ズバイルと共に、ヒラー洞窟にありました。すると岩がグラグラ動き出したので、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「止まれ。お前の上にいるのは、預言者と信心深い者(スィッディーク)、殉教者たちなのだぞ[7]。」(ムスリムの伝承[8])
[1] 訳者注:「ムハージルーン」はマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者たちで、「アンサール」は彼らをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面から援助した信仰者たち。
[2] サヒーフ・アル=ブハーリー(3673)、サヒーフ・ムスリム(2540)。文章はムスリムのもの。
[3] 訳者注:上記訳者注1参照のこと。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(7244)、サヒーフ・ムスリム(1059)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(3695)、サヒーフ・ムスリム(2403)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(4416)、サヒーフ・ムスリム(2404)。文章はムスリムのもの。
[7] 訳者注:アブー・バクルが「スィッディーク」という名誉高い名で呼ばれていたのは有名です。また実際にウマル、ウスマーン、タルハ、アッ=ズバイルは皆殉教者となりました。イマーム・アン=ナワウィーはこの伝承を、未来を予知した預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の奇跡の証明の1つであると言っています(アン=ナワウィーのサヒーフ・ムスリム解釈より)。
[8] サヒーフ・ムスリム(2417)。