വിജ്ഞാനന്റെ ശ്രേഷ്ഠത
12-知識の書
● 知識の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーは、あなた方の内で信仰する者たちと知識を与えられた者の位階を上げられる。アッラーはあなた方が行うことを実によく通暁されておられる。,(クルアーン58:11)
2-アブー・ウマーマ・アル=バーヒリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとで、敬虔でイバーダ(崇拝行為)に熱心な1人の男と、1人の学者が言及されました。するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“敬虔でイバーダ(崇拝行為)に熱心な男に対する学者の優越性は、あなた方の内で最低の位階にある者に対する私の優越性のようなものである。”そしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“実にアッラーとその天使たち、諸天地にある全ての存在は(地の)穴の中にいる蟻や(水の中に棲む)魚に至るまで、人々によいことを教える者を祝福する。”」(アッ=ティルミズィーの伝承[1])
● 知識を追求する者の徳、及びそれが言葉や行いに先立つこと:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを知り、あなたと男女の信仰者たちの罪を乞うのだ。アッラーはあなた方の(現世における)一挙一動も、あなた方の(来世における)行き先もご存知なのである。,(クルアーン47:19)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして言え、「主よ、私の知識をお増やし下さい。」,(クルアーン20:114)
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“・・・そして知識を求めて道行く者は、アッラーが彼に天国への道を易しくしてくれるであろう。”」(ムスリムの伝承[2])
● 正しい導きへといざなうことの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「正しい導きへといざなう者には、それに従った者が得る報奨と同じ報奨が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の報奨からは少したりとも差し引きされることはない。そして迷妄へといざなう者には、それに従った者が得る罪と同じ罪が彼にも与えられる。そしてそれによって彼ら(導きに従った者たち)の罪からは少したりとも差し引きされることはない。」(ムスリムの伝承[3])
● 知識を伝達することの義務:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-これは彼らがそれでもって警告され、かれ(アッラー)こそが真に崇拝されるべき唯一の存在である事を知り、知識ある者たちが熟慮するための人々への伝達である。,(クルアーン14:52)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の最後の巡礼に関する伝承の中で、彼がこのように言ったと伝えています:「・・・ここにいる者は(今私から聞いたものを)不在者に伝えよ。というのもこの場に居合わせた者は、それを彼より理解力の優れた者に伝達するかもしれないからである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
3-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「(クルアーンの)一句でもよいから、私(の伝えた言葉)を伝達するのだ。」(アル=ブハーリーの伝承[5])
● 知識を隠蔽する者に対する懲罰:
1-至高なるアッラーはこう仰られています:-実にわれら(アッラーのこと)が下した明証と正しい導きを、啓典において人々に明らかにした後に隠蔽する者たちは、アッラーのご慈悲から遠ざけられ、(天使や人々、その他の生物など)全てのものから見放されるであろう。しかし悔悟し、(行いを)改め、(隠蔽していたものを)明らかにする者たちは別であり、彼らに関してはわれが彼らの悔悟を受け入れるであろう。われはよく悔悟を受け入れる、慈悲深いお方である。,(クルアーン2:159-160)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“何らかの知識について訊ねられたのにそれを隠蔽した者は、審判の日にアッラーが彼に炎のくつわを嵌めさせられるであろう。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[6])
● アッラーのためでなくして知識を求める者への懲罰:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-・・・そして知識のない人々を迷わせるがために、アッラーに対して(かれが合法とされたものを非合法であるなどとして)嘘をつくような輩ほど罪深い者があろうか?実にアッラーは(真理に対して)不正を働く者をお導きにはなられないのだ。,(クルアーン6:144)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方が語る言葉ゆえに(何の根拠もなく)「これは合法である。そしてこれは非合法である。」などと嘘をついてはならない。そうすればあなた方はアッラーに対して嘘をつくことになるであろう。実にアッラーに対して嘘をつく者たちは成功しない。(彼らには現世における)僅かな享楽があるが、(来世では)痛烈な懲罰が待ち受けているのである。,(クルアーン16:116-117)
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私に対して意図的に嘘をつく者は、地獄の業火に居を構えさせよ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7])
● 知識を学び、かつそれを教える者の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-しかし(本来の預言者というものは)こう言うのだ:「あなた方はあなた方が啓典について学識に秀で、かつ知識を求めている(その立場)ゆえにアッ=ラッバーニー[8]となるのだ。」,(クルアーン3:79)
2-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーが正しい導きと知識をもって私を遣わされた事は、あたかも大地に降った豊富な慈雨のようなものである。それで大地の中にはそれを吸収し、植物を沢山茂らせる肥沃なものもあれば、不毛の地であっても(水を吸収せずに)せき止め、それでもってアッラーが飲料や用水や灌漑などにおいて人を益するものもある。また別の土地は不毛かつ平坦で、水を蓄えることもなければ植物を茂らせることもない。そしてこれらはアッラーの宗教において理解を深めた者と、アッラーが私を遣わされたところのものでもって人を益し、知りかつ教えた者と、そしてそれにおいて知識を得ることもなければ私が遣わされたところのアッラーの導きをも受け入れなかった者たちの喩えなのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[9])
3-アブー・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“(次に述べる)2人の者以外に羨望すべき者はいない:(1人は)アッラーが財をお与えになられたが、自らの吝嗇を抑え、それを正しい道において使い果たした者。そして(もう1人は)アッラーが英知をお授けになり、それでもって行い、かつそれを教えた者である。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10])
● 知識の差し押さえとその形:
1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私がアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から聞いた話をしようか?あなた方は私の後、それを聞いた者たちからその話を聞くことはないだろう:“審判の日の予兆の1つは、(イスラームの)知識が押収され、無知が蔓延し、ズィナー(姦淫)が横行し、飲酒が見られることである。そして男1人に対して女50人になるまでに、男性の数が激減し、女性が残るであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11])
2-アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“実にアッラーは、しもべから知識を奪うようにして差し押さえられるわけではない。しかし学者たちを差し押さえることによって、知識を差し押さえられるのである。そして学者は1人としていなくなり、人々は無知な者たちを主導者として選ぶことになる。彼ら(無知な者たち)は質問されれば知識もなくして答え、自ら迷い、そして他の者たちをも迷わせるのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12])
● 宗教において理解を深めることの徳:
1-フマイド・ブン・アブドッラフマーンはムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)が次のように言うのを聞きました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“アッラーは誰かによきものをお望みになる時、彼の宗教理解を深められる。アッラーこそが全てをお与えになられるお方であり、私はその分配役である。そしてこのウンマ(イスラーム共同体)は、彼らに対する者たちに勝利し続けるであろう。アッラーのご命令がやって来るまで、彼らは勝利しているのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[13])
2-ウスマーン(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなた方の内で最善の者は、クルアーンを学び、そしてそれを教える者である。」(アル=ブハーリーの伝承[14])
● ズィクル(唱念)の場の徳:
現世には天国の楽園の一部である2つの楽園があります。その内1つは定着したものですが、もう1つは時と場所を超越してその都度更新されます。
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「私の家と私のミンバル(説教壇)との間には、天国の一部である楽園がある。そして私のミンバル(説教壇)は私の水辺[15]の上に位置しているのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[16])
2-アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“天国の楽園に入ったら、その草を大いに食むのだ。”(教友たちは)言いました:“天国の楽園とは何ですか?”(アッラーの使徒は)言いました:“ズィクル(唱念)の(集まりの)場である。”」(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承[17])
3-アブー・フライラとアブー・サイード・アル=フドゥリー(彼らにアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように言ったと証言しています:「人々が集まり座って偉大かつ荘厳なるアッラーをズィクル(唱念)すれば、天使たちが彼らの周りを囲み、慈悲が彼らを覆うだろう。そして彼らのもとには静寂が訪れ、アッラーはかれの御許にある者たち[18]の中で彼らを褒めてつかわされるであろう。」(ムスリムの伝承[19])
[1] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(2685)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2161)。
[2] サヒーフ・ムスリム(2699)。
[3] サヒーフ・ムスリム(2674)。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(67)、サヒーフ・ムスリム(1679)。文章はムスリムのもの。
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(3461)。
[6] 真正かつ良好な伝承。スナン・アビー・ダーウード(3658)、サヒーフ・スナン・アビー・ダーウード(3106)、スナン・アッ=ティルミズィー(2649)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2135)。文章はアブー。ダーウードのもの。
[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(110)、サヒーフ・ムスリム(3)。文章はムスリムのもの。
[8] 訳者注:アッラーの宗教に関する学識が豊かで、敬虔かつ教育熱心な者。
[9] サヒーフ・アル=ブハーリー(79)、サヒーフ・ムスリム(2282)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(73)、サヒーフ・ムスリム(816)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[11] サヒーフ・アル=ブハーリー(81)、サヒーフ・ムスリム(2671)。文章はムスリムのもの。
[12] サヒーフ・アル=ブハーリー(100)、サヒーフ・ムスリム(2673)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[13] サヒーフ・アル=ブハーリー(3116)、サヒーフ・ムスリム(1037)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[14] サヒーフ・アル=ブハーリー(5027)。
[15] 訳者注:詳しくは「最後の日への信仰‐預言者たちの水辺」の章を参照のこと。ちなみにこの伝承は、マディーナの預言者モスクのことを指しています。
[16] サヒーフ・アル=ブハーリー(1196)、サヒーフ・ムスリム(1391)。
[17] 良好な伝承。ムスナド・アフマド(12551)、スナン・アッ=ティルミズィー(3510)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2787)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2562)参照。
[18] 訳者注:高貴な天使たちや預言者たちのことであると言われています。スナン・アビー・ダーウード解釈「アウヌ・アル=マアブード」参照。
[19] サヒーフ・ムスリム(2700)。