Азон ва Қомат
②アザーンとイカーマ
● アザーンとは:決められた形式の句でもってサラー(礼拝)の規定時間の到来を知らせることにより、アッラーを崇拝することです。
● アザーンはヒジュラ暦元年に定められました。
● アザーンが定められたことに秘められた英知:
1-アザーンはサラーの規定時間とその場所を告知し、サラー及び多くの善に溢れた集まりの場へといざなう呼びかけでもあります。
2-またアザーンは、最も大きな恩恵の1つであるサラーの遂行に関しておろそかな者たちや、またそれを忘れやすい者たちへの注意の喚起でもあります。サラーはしもべをその主へと近付けてくれる成功の源なのであり、アザーンはムスリムがその恩恵を逃してしまわないがための呼びかけなのです。
● イカーマとは:決められた形式の句でもってサラーの開始を知らせることにより、アッラーを崇拝することです。
● アザーンとイカーマの法的位置づけ:居住者、旅行者の別なく、男性に課された連帯義務[1]です。またアザーンとイカーマは1日5回の義務のサラーと、金曜日の集団礼拝のみに行われます。
● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)には4人のムアッズィン(アザーンを行う者)がいました:
彼らはマディーナの預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)モスクのビラール・ブン・ラバーフとアムル・ブン・ウンム・マクトゥーム、同じくマディーナのクバー・モスクのサアド・アル=カルド、そしてマッカのハラーム・モスクのアブー・マフズーラです。
アブー・マフズーラはアザーンをタルジーゥ[2]の形で行い、イカーマは各文句を2回ずつ唱えていました。一方ビラールはアザーンをタルジーゥではない形で行い、イカーマはといえば各文句を1回ずつ唱えていました。
● アザーンの徳:
アザーンをする者は、声を大きく上げるのがスンナ[3]です。というのもジンであれ人間であれ、またその他の何物であれ、アザーンする者の声を聞いた全ての存在は審判の日に、彼のためにそのことを証言するからです。またアザーンする者はその声の大きさだけ罪を赦され、それを聞いた全ての存在は彼の唱えるアザーンの言葉を確証します。また彼には、彼と共にサラー(礼拝)した者の報奨と同様のものが与えられるでしょう。
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アザーンと(礼拝において)最前列(に立つことに潜む偉大な報奨と徳)を人が知り、そして(それゆえにその役割や場所が満杯になってしまい)くじ引きするしかなくなったとしたら、彼らはそうしたであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])”
2-ムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:「アザーンする者たちは審判の日、最も首の長い者たちである[5]。」(ムスリムの伝承[6])
● スンナにおける確証されたアザーンの形式:
1-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)時代にアザーンをしていた、ビラール(彼にアッラーのご満悦あれ)のアザーンの形式:15の文からなります:
1- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
2- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
3- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
4- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
5- アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)
6- アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)
7- アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)
8- アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)
9- ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)
10- ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)
11- ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)
12- ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)
13- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
14- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
15- ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)
(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[7])
2-アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)のアザーンの形式:19の文から成立しています。最初のタクビール[8]は4回唱えますが、重複する部分があります(この形式をタルジーゥと言います)。
アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私に、自らアザーンを教示してこう言いました:“このように言うのだ:「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル。アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)、アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー。アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー。」それから、戻って声を伸ばして(こう言うのだ):「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)、アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー。アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)、アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー。ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)、ハイヤー・アラッ=サラー。ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)、ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ。アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバル。ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)。」”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[9])
3-上記のアブー・マフズーラと同じ形式で、冒頭のタクビールが4回ではなく2回だけの形式:つまり文の数は17になります。(ムスリムの伝承[10])
4-最後の文以外の各文が、2回のみに限られる形式:つまり文の数は13になります。
イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の時代のアザーンは、各々(の文章)を2回ずつ繰り返す(形の)もので、イカーマは(各文章を)1回ずつ(唱える形のもの)でした。但し(イカーマにおいては)“カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)、カドゥ・カーマティッサラー”という言葉を(挿入して)唱えました。」(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承[11])
● そしてスンナは、これらの形式を全て適用することです。つまりある時はこの形式、またある時は別の形式、ある所ではこの形式、またある所ではこの形式、という風に時折変化をつけることです。それはスンナを保護し、その合法的かつ様々な多様性を持った側面を実践していくためなのです。但しそうすることで人々の間に大きな問題をもたらす原因となりそうな場合は、それを避けた方がよいでしょう。
● ファジュル(夜明け前のサラー)のアザーンの際には、「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」の言葉の後に、「アッ=サラートゥ・ハイルン・ミナン=ナウム(サラーは眠りに勝れり)、アッ=サラートゥ・ハイルン・ミナン=ナウム」と付け足します。これは既出の4つのアザーンの形式全てに適用されます。
● 正しいアザーンの諸条件:以下のようなものがあります:
アザーンの言葉が順序正しく、かつ連続しており、各文章の間に長い間隔が空いていないこと。義務のサラーの規定時間帯に入っていること。アザーンする者が信頼性に優れ、理性があり、宗教的に真面目で、分別のある成人男性ムスリムであること。アザーン及びイカーマがスンナに則った形式でもって、アラビア語で行われること。
● アザーンを大きな声でゆっくりと唱え、「ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)」の所で顔を右に、そして「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」の所で左に向けることはスンナです。あるいは以上の各文の1度目で右に、2度目で左に顔を向けるようにします。
● また以下のこともスンナです:アザーンをする者の声が美しいこと。時間を熟知していること。キブラ[12]の方向を向いて行うこと。身体が清浄な状態で行うこと。起立して行うこと。アザーンする時に、両耳に指をあてること。高い場所で行うこと。
● 5つの義務のサラー時間前にアザーンを行うことは許されません。但しファジュル(夜明け前)の時は、深夜の任意のサラーを行っていた者たちが準備し、あるいは睡眠中の者が目を覚まし、またあるいはタハッジュド[13]をしていた者たちがウィトル[14]を終えることが出来るよう、サウム(斎戒)する者たちがスフール(夜明け前に摂る食事)を摂れるだけの間隔をもって規定時間前にアザーンを行うことがスンナとなります。そしてその場合、ファジュル時間に入ってから再度、サラーそのもののためのアザーンを行うことになるのです。
● アザーンを聞いた者が唱えること:
アザーンを耳にした男女は、次のように唱えるのがスンナです:
1-アザーンをする者が得る報奨と同様のものを獲得すべく、彼の言葉に次いで同じ文句を繰り返して唱えます。但し「ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)」と「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」の時には同じ文章を唱えるのではなく、「ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー(アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もなし)」と唱えます。
2-アザーン後、アザーンを唱えた者と聞いた者が、声に出すことなく預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への祝福を祈ること。
3-またアザーンの後、ジャービル・ブン・アブドッラー(彼らにアッラーのご満悦あれ)が伝える次のアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉を唱えるのもスンナです:「アザーンを聞いた際に、“アッラーよ、この完全なる呼びかけと常なるサラーの主よ。ムハンマドに天国での位階と栄誉を与え、彼をあなたが約束されたところの賞賛に溢れた場所へと復活させて下さい”と言った者には、審判の日私のとりなしがあるであろう。」(アル=ブハーリーの伝承[15])
4-サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アザーンをする者(の声)を聞いて、“私は、並ぶ者無き唯一のアッラー以外に真に崇拝すべきものは無く、ムハンマドは彼のしもべであり使徒であると証言します。私はアッラーが私たちの主であり、イスラームが私たちの宗教であり、そしてムハンマドが私たちの使徒であることに満足しました”と言う者は、その罪を赦されよう。」(ムスリムの伝承[16])
5-任意のドゥアー(祈願)をすること。
● アザーンをする者に次いでアザーンの文句を唱えることの徳:
1-アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次のように言うのを聞きました:「アザーンを聞いたら、彼が言うように(後について)言うのだ。それから私に対しての祝福を祈願する言葉を唱えよ。私に1回祝福を祈願する者には、アッラーが彼のためにその10倍のご慈悲をかけて下さる。それから私のために、アッラーにアル=ワスィーラ(かれの御許での高い位階)を乞うのだ。それは天国において、アッラーのしもべの中のしもべにしか許されない位階であり、私がそれ(を与えられる者)であることを望む。私にアル=ワスィーラを乞う者には、とりなしが与えられるであろう。」(ムスリムの伝承[17])
● (ある特定の状況下)2つのサラーをまとめて行ったり、あるいは規定時間に遂行出来なかった複数のサラーを連続して行ったりする時には最初に1度だけアザーンをし、それから各々のサラーの前にイカーマをするようにします。
● 酷暑のためズフル(正午過ぎ)のサラーを遅らせたり、あるいはイシャー(夜のサラー)を最良の時間まで遅らせたりする時には、それらのサラーを行いたい時間にアザーンをすることがスンナです。
● アザーンをしたい者が2人以上いる時には、より声の良い者を優先します。もし声において同等であれば、宗教における真面目さ、次いで理性などを比較して選びます。もしそれら全てにおいても同等ならば、そのモスクの隣人たちが選びます。もしそれでも決まらなければ、くじ引きで決めます。また1つのモスクに、2人以上のムアッズィン(アザーンをする者)がいても、問題はありません。
● アザーンをすることの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アザーンがされると、シャイターンは背を向け退散し、それが聞こえないように大きく放屁する。そしてアザーンが終わるとまた戻って来るが、イカーマが行われるとまた退散する。そしてイカーマが終わると再び戻って来て人の心に囁きかけ、(サラーを始める前までは)彼の脳裏になかったものを思い出させようとして、こう言う:“これを思い出せ、あれを思い出せ。”こうして人は、何ラクア礼拝したか分からなくなってしまうのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[18])
● 金曜日の集団礼拝のアザーンは、イマーム(サラーを率いる者)が説教のために説教壇の上に腰を下ろした時にします。人口が急増した第3代カリフ・ウスマーン(彼にアッラーのご満悦あれ)の時代にはその前にももう1つのアザーンが行われるようになりましたが、サハーバ(教友たち)はその慣行に対して異議を唱えませんでした[19]。
● イマームはサラーを率いることにおいて、そしてムアッズィンはアザーンをすることにおいて、報酬を受け取ってはなりません。しかしモスクのイマームやムアッズィンは偉大かつ荘厳なるアッラーのためそれらの職務を遂行するなら、イスラーム国家の国庫から給与を受け取ることが出来ます。
● モスクに入った時にアザーンが行われている場合、アザーンを謹聴し、かつその文句を復唱することが推奨されます。そしてアザーンが終わったらドゥアーをし、タヒイヤト・アル=マスジド[20]の2ラクアを行うまでは座らないようにします。
● モスクにいる時アザーンが始まったら、病気やウドゥー[21]などの正当な理由がない限り、モスクから出ることを許されません。
● スンナにおいて確証されているイカーマの形式:
イカーマは以下に挙げるような形式のいずれかに則り、かつその順序と連続性が保たれていることがスンナです:
1-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の前でイカーマを行ったビラール(彼にアッラーのご満悦あれ)のもので、以下の11の文章からなります:
1- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
2- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
3- アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)
4- アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)
5- ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)
6- ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)
7- カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)
8- カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)
9- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
10- アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)
11- ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)
(アブー・ダーウードの伝承[22])
2-アブー・マフズーラ(彼にアッラーのご満悦あれ)のイカーマで、17の文章からなります:
(その内訳は)タクビール(上記の①)が4回、タシャッフド(上記の③と④)が(各2回ずつの計)4回、ハイアラ(上記の⑤と⑥)が4回、「カドゥ・カーマティッサラー」が2回、タクビール(上記の⑨)が2回、「ラー・イラーハ・イッラッラー」が1回です。(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[23])
3-以下の10の文章です:
アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ・アクバル。アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものがないことを証言します)。アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(私は、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します)。ハイヤー・アラッ=サラー(サラーに来たれ)。ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)。カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)、カドゥ・カーマティッサラー。アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)。ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)。(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承[24])
● そしてスンナは、これらの形式を全て適用することです。つまりある時はこの形式、またある時は別の形式、ある所ではこの形式、またある所ではこの形式、という風に時折変化をもたせることです。それはスンナを保護し、その合法的かつ様々な多様性を持った側面を実践していくためなのです。但しそうすることで人々の間に大きな問題をもたらす原因となりそうな場合は、それを避けた方がよいでしょう。
● アザーンとイカーマの間にドゥアーすることは、スンナです。
● アザーン、イカーマ、サラーや説教などにおいては、必要に応じて拡声器を使用することが許されます。しかしもしそうすることで弊害や迷惑などが生じるようであれば、使用しないようにします。
● アザーンとイカーマは同一人物が行うことがスンナです。ムアッズィンはアザーンにおいて、そしてイマームはイカーマにおいて優先権を有しており、それゆえムアッズィンはイマームが現れたり立ち上がったり、あるいはその合図を送ったりするまでは、勝手にイカーマを唱えてはいけません。
● アザーンの各文章はそれぞれの間を明瞭に区切りつつ、一文一文を一息で唱え、そしてそれを聞く者がそれに呼応するのがスンナです。一方イカーマに関しては、それを聞いた者が唱えるべき言葉に関する正しい伝承は確認されていません。
● 厳寒の折や雨夜などにおいて、ムアッズィンがスンナで確証された以下のような文章を「ハイヤー・アラー・アル=ファラーハ(成功へと来たれ)」あるいはアザーンの後に唱えることは、スンナです:
① 「乗り物(用の家畜)に乗ったままサラーせよ。」
② 「家でサラーせよ。」
③ 「モスクに来ずとも問題はなし。」
● 旅行中のアザーンとイカーマ:
マーリク・ブン・アブー・フワイリス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「旅に出発しようとしている2人の男が、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにやって来ました。それで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、(彼らに)こう言いました:“あなた方2人が旅に出(てサラーの規定時間が到来し)たらアザーンをし、それからイカーマをせよ。そしてあなた方の内、年長の方がサラーを率いるのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[25])
● サラーには、アザーン及びイカーマとの関係において4つの状況があります:
1-アザーンとイカーマの両方とも存在するサラー:5つの義務のサラーと金曜日の集団礼拝のことです。
2-アザーンがなく、イカーマだけがあるサラー:連続した2つの義務のサラーをまとめて行う時と、規定時間内に行えなかった複数の義務のサラーを連続して行う時。
3-特別な文章による呼びかけがあるサラー:月食及び日食のサラーのことです。
4-アザーンもイカーマもないサラー:任意のサラーや葬儀のサラー、2つのイード[26]のサラー、雨乞いのサラーなどです。
[1] 訳者注:集団内の誰かがそれを行いさえすれば、集団内の他の者の義務が免除されるような類の義務のこと。これに対し、サラーやサウムのような個人義務は個々に課されてきます。
[2] 訳者注:後述の「スンナにおける確証されたアザーンの形式」の項内の2番を参照のこと。
[3] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(615)、サヒーフ・ムスリム(437)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[5] 訳者注:その意味に関しては、審判の日にアッラーのご慈悲を最も待ちわびる者たちとなるとか、また偉大な報奨を得るとか、あるいは汗で体が埋もれる時に首が長くなって助かるとか、あるいはその日人々の首領になるとかいった解釈があります。
[6] サヒーフ・ムスリム(387)。
[7] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(499)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(469)、スナン・イブン・マージャ(706)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(580)。
[8] 訳者注:「アッラーフ・アクバル」という言葉のこと。
[9] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(503)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(475)、スナン・アッ=ティルミズィー(192)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(162)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[10] サヒーフ・ムスリム(379)。
[11] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(510)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(482)、スナン・アン=ナサーイー(628)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(610)。文章はアン=ナサーイーのもの。
[12] 訳者注:カアバ神殿のあるマッカの方角のこと。
[13] 訳者注:深夜に任意で行う礼拝。普通は一旦寝た後に、そのために深夜に起き上がってする礼拝のことを言います。一方キヤーム・アッ=ライル(夜中にする任意のサラー)はもっと広い意味で用いられ、夜全般に渡って行われる任意の礼拝全てを指します。
[14] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。
[15] サヒーフ・アル=ブハーリー(614)。
[16] サヒーフ・ムスリム(386)。
[17] サヒーフ・ムスリム(384)。
[18] サヒーフ・アル=ブハーリー(608)、サヒーフ・ムスリム(389)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[19] 訳者注:つまりこの事は合法であることを示しています。というのも預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉通り、「アッラーは、私のウンマ(共同体)を迷妄において結集させられることはない」からです。
[20] 訳者注:モスクに入った時、腰を下ろす前に行う2ラクアのサラーのこと。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のスンナです。
[21] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[22] 良好かつ真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(499)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(469)。
[23] 良好かつ真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(502)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(474)、スナン・アッ=ティルミズィー(192)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(162)。アッ=ティルミズィーはこの伝承を、良好かつ真正な伝承であると言っています。
[24] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(510)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(482)、スナン・アン=ナサーイー(628)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(610)。
[25] サヒーフ・アル=ブハーリー(630)、サヒーフ・ムスリム(674)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[26] 訳者注:「2つのイードの日」とは、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)のことです。