হজ ও উমরার বিধান

প্রবন্ধ পেইজ পরিচিতি
শিরোনাম: হজ ও উমরার বিধান
ভাষা: জাপানিজ
লেখক: মুহাম্মদ ইবন ইবরাহীম আত-তুয়াইজিরী
অনুবাদক: সায়ীদ সাতু
সম্পাদক: ফাতেমা সাতু
প্রকাশনায়: ইসলাম প্রচার ব্যুরো, রাবওয়াহ, রিয়াদ
সংক্ষিপ্ত বর্ণনা: হজ ও উমরা অধ্যায়-৯, হজ ও উমরার বিধান: প্রবন্ধটি শায়খ মুহাম্মদ বিন ইবরাহিম আত-তুআইজিরি কর্তৃক সংকলিত মুখতাছার আল-ফিকহিল ইসলামী থেকে অনুদিত। এতে আছে
কুরবানীর দিনের আমল, রামি দেরী করার বিধান, মীনার সীমানা, মুযদালিফার সীমা, আইয়ামে তাশরীকের রামি, তাওয়াফে ইফাদা দেরী করার বিধান ইত্যাদি।

সংযোজন তারিখ: 2008-04-23
শর্ট লিংক: http://IslamHouse.com/122918
:: এই শিরোনামটি বিষয় অনুসারে নিম্নের ক্যাটাগরিগুলোতে বিন্যস্ত ::
বিষয়ের সংযুক্তিসমূহ ( 2 )
1.
ハッジとウムラに関する法的見解
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ハッジとウムラに関する法的見解
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বিস্তারিত বিবরণ

⑨ハッジとウムラに関する法的見解

  

     イードの日‐ズー・アル=ヒッジャ月[1]10日目‐の諸行:

 ハッジを行う巡礼者は、以下のようにイードの日の諸行を順序付けるのがよいでしょう:①アル=アカバジャムラ[2]の投石、②犠牲、③剃髪あるいは頭髪を切ること、④タワーフ・アル=イファーダ[3]、⑤サアイ[4]。この順番で行うことはスンナ[5]ですので、もし剃髪を犠牲の前に行ったり、タワーフを投石より前倒しにしたりしても支障はありません。

      犠牲を屠るべき時期はイードの日から、アイヤーム・アッ=タシュリーク[6]3日目‐つまりズー・アル=ヒッジャ月13日目‐の日没前までです。

 アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は「別れのハッジ」の際ミナーに立って、人々に質問されていました。するとそこに1人の男がやって来て、こう言いました:「“知らずに、犠牲を屠る前に剃髪してしまったのですが。”(アッラーの使徒は)言いました:“(犠牲を)屠るがよい。問題はない。”すると今度は別の男が来て、こう言いました:“知らずに、投石する前に(ラクダの)犠牲を屠ってしまったのですが。”(アッラーの使徒は)言いました:“投石するがよい。問題はない。”こうして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(イードの日の諸行の順番が)前倒しになったり後回しになったりしたことについて尋ねられても、“(これこれを)するがよい。問題はない”と言うのみでした。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7]

     ジャムラート[8]の投石を遅らせることに関しての法的見解:

そもそも投石は規定時間通りに行うのがスンナです。

しかし家畜番や病人など正当な理由のある者、あるいは人の混雑によって被害を被るよ

うな者は、アイヤーム・アッ=タシュリークの投石をその最終日‐ズー・アル=ヒッジャ月13日目‐まで遅らせることが出来ます。その際はまず11日目の分を最小のジャムラ、中位のジャムラ、アル=アカバジャムラ[9]と順番に行い、それから12日目と13日目の分も同様に投石していきます。正当な理由もなくアイヤーム・アッ=タシュリーク[10]の投石を13日以降にまで遅らせることは罪ですが、理由があるならば罪はありません。そしてそのどちらの場合も規定時期が既に経過してしまったことにより投石の機会は失われますが、ハッジ自体は有効です。

     家畜番、あるいは交通警察や警備員、巡礼ガイドや医師など巡礼者全体の福利のために勤しむ者は、その必要があればアイヤーム・アッ=タシュリークにミナーで夜を過ごさなくともかまいません。そしてそのことによって贖罪を課されることもありません。

 

     ミナーの境界:

東西はムハッスィルの谷(ムズダリファとミナーの中間地点)とアル=アカバジャムラの間、南北はミナーを囲う山々までです。

 

     ムズダリファ[11]の境界:

東はアル=マアザマーン路の西端、西はムハッスィルの谷、北はスバイル山、南はアル=マリーヒーヤートゥの山々までです。

 

     アイヤーム・アッ=タシュリークにおいてジャムラートに投石する時期:

1-イードの日以降のジャムラートの投石は全て、正午以降です。午前中に投石した場合は、それを午後にやり直さなければなりません。やり直さないままアイヤーム・アッ=タシュリーク3日目の日没を迎えることは罪となり、それ以降は投石の規定時期が経過してしまったことにより投石の機会は失われます。但しそのハッジ自体は有効です。

2-投石をする者にとって、アイヤーム・アッ=タシュリーク3日間は1日に等しいものと見なされます。ゆえに1日に、その日の分の投石と別の日の分の投石をすることも可能であり、そうすることによって何の罪もありません。しかし毎日規定通りの投石をすることが最善です。

 

     タワーフ・アル=イファーダ[12]を遅延させることに関しての法的見解:

タワーフ・アル=イファーダはイードの日に行うのがスンナですが、アイヤーム・アッ=タシュリーク、更にはズー・アル=ヒッジャ月の最終日まで遅らせることも可能です。但し徒歩でも担がれてもタワーフが不可能な位の病気や、産後の出血などの正当な理由でタワーフ・アル=イファーダをズー・アル=ヒッジャ月以降にまで遅らせることは許されています。

 

     ムズダリファで逗留する羽目になってしまった場合の法的見解:

 アラファからムズダリファに向かう際、混雑などの原因でイシャー(夜の礼拝)の時間内にムズダリファ到着が叶いそうにない場合は、到着前の道中で礼拝します。また何らかの理由でファジュルの時間に入った後、あるいは太陽が昇った後にムズダリファに到着した者は、そこに少しの間滞在した後、引き続きミナーに向かって移動します。このような者に関しては罪もなく、また贖罪も課されることもなく、そのハッジも有効なものと見なされます。

     ジャムラートの投石で複数の小石を一度に投げた場合、1個の小石を投げたとしか見なされません。ゆえにそのような者はそれを考慮し、残りの投石を完遂する必要があります。また投石する場所というのは小石を入れる穴のことであり、目印としてそこに建てられている壁のことではありません[13]

 

     日没以降に投石することに関する法的見解:

 巡礼者はアイヤーム・アッ=タシュリークにおいて、正午を過ぎてから昼間の内に投石を済ませることが最善です。しかしもし混雑を恐れる場合は、日没以降に投げることも可能です。というのも預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は投石開始の時刻は定めましたが、終了時刻は明示しなかったからです。

 イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、ある者が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にこう質問しました:「“日没以降に投石してしまったのですが。”(預言者は)言いました:“問題はない。”また別の者はこう質問しました:“犠牲を屠る前に剃髪してしまったのですが。”すると(預言者は)言いました:“問題はない。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14]

 

     月経中の女性のタワーフ:

タワーフ・アル=イファーダの前に月経、あるいは産後の出血を見た者は、身体が清浄な状態になるまでタワーフをしません。そしてグスル[15]をして清浄な状態になれる時が来るまでマッカに滞在し、それからタワーフします。しかしもし彼女の同行者がその時期まで待っていることが出来なかったり、彼女がそれまでマッカに滞在することが出来なかったりする場合には、生理用品などを装着してタワーフします。というのも彼女はそうする必要に迫られているのであり、アッラーは人が抱えきれないような負担を課されることはないからです。そしてそのような者のハッジは、‐アッラーのお許しと共に‐正しく有効なものとなることでしょう。

 

     投石における代理に関する法的見解:

 そうする能力のない老若男女の弱者のために投石の代理を依頼することは、合法です。そのような場合、代理人は各ジャマラートにおいてまず自分の分の投石を済ませ、それから依頼人のための投石をします。

     女性がウムラのためのイフラーム[16]に入り、タワーフをする前に月経を見た場合、ズー・アル=ヒッジャ月の9日前に月経があがったらグスルをしてウムラを完遂します。そしてハッジのイフラームに入り、アラファへと向かいます。しかしもしその日までに月経が終わらなかったら、「ウムラとハッジのためにあなたの御許に馳せ参じます」と唱えてウムラにハッジを併合してしまいます。こうすることで彼女はキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)に入り、人々と共にアラファの地に立ちます。そして月経が終了したらグスルをし、タワーフをするのです。

     イフラード(ハッジのみを行う巡礼形式)、あるいはキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)をする者は、マッカ入りしてタワーフとサアイを終えたら、巡礼形式をタマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式)へと変更すべく、行った行をウムラと変換することがスンナです。タワーフ・アル=イファーダを行うまでは、巡礼形式をタマットゥへと変換することが出来ます。一方イフラードをする者がキラーンへと巡礼形式を変更したり、キラーンをする者がイフラードへと変更したりはしません。飽くまでスンナは、イフラードキラーンをする者が巡礼形式をタマットゥへと変更することです。但しキラーンをする者が犠牲を連行している場合、そのままキラーンを継続します。

     ハッジであれウムラであれ、巡礼者は嘘やギーバ[17]、口論などから口を慎み、悪い品格を回避するようにしなければなりません。またよい同行者を選び、合法かつよき手段で得た財でもって巡礼します。

 

     カアバ神殿の中に入ることに関しての法的見解: 

カアバ神殿の中に入る機会があればそれはよいことですが、本来それは義務でもスンナでもありません。そのような機会を得た者は中でサラー(礼拝)をし、タクビール[18]し、ドゥアー(祈願)します。またカアバ神殿のドアから入った際にはそのまま真っ直ぐ進み、突き当りの壁と自分との間に約3ズィラーァ[19]ほどの間隔を空け、ドアを背にしてサラーします。

 

     ハッジの中には、特にドゥアー(祈願)すべき6つのポイントがあります:

以下に挙げる6つの地点が、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から確実に伝えられているドゥアーに専念すべき場所です:サアイにおける①サファーと②マルワの丘、③アラファ、④ムズダリファ、⑤最初のジャムラの投石後、⑥2番目のジャムラの投石後。

     ハッジの巡礼者が一斉に移動するポイントは、3箇所あります:①イードの日の夜、アラファからムズダリファまでの間と、②ムズダリファからミナーまでの間、そしてタワーフ・アル=イファーダのために③ミナーからマッカへと移動する際です。

 

     聖なる儀式の場における過ごし方:

1-ミナーとムズダリファとアラファはハッジの聖なる儀式の場であり、誰も私有することは出来ません。

ミナーにおいて、正当な理由もなくアイヤーム・アッ=タシュリーク2晩あるいは3晩の滞在を放棄した者のハッジは有効ですが、罪を犯したことになります。ミナー内に滞在する場所を見出すことが出来ない者は、ミナーの外でも構わないので、ミナーの境界線付近にあるテントから最も近い場所に腰を据えます。そのような場合ミナーの外に滞在しても問題はなく、贖罪も義務付けられません。尚ミナー内の歩道や路上で夜を過ごしたりして自らを害し、他人に迷惑をかけたりしてはいけません。

2-ミナーとムズダリファとアラファはモスクのような場所であり、誰もそこにおいて家を建てて賃貸したり、あるいはその土地を取得して賃貸したりするようなことをしてはなりません。もしそのような状況に遭遇した場合でも賃貸料金など払う義務はなく、罪はその場所を勝手に私有しようとした者にあります。またイマームは巡礼者の快適な滞在と福利の実現のため、これらの聖地における諸々の都合を取り計らう義務があります。

アブドッラフマーン・ブン・ムアーズ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友のある者はこう言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はミナーで説教をし、人々を各々の場所に配置しました。そして(預言者は)は、“ムハージルはここに宿営させよ”と言ってキブラの右側を示し、また“アンサールはこちらに宿営させよ”[20]と言ってキブラの左側を示しました。(それから預言者はこう言いました)“そして人々を彼らの回りに宿営させよ。”」(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承[21]

 

     預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のハッジの形:

ジャービル・ブン・アブドッラー(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は(マディーナに移ってから)9年間、ハッジをせずに過ごしました。そして10年目になってアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がハッジの巡礼に出発するという通達がなされ、彼に従い、彼と同じように(ハッジを)行うことを望む多くの者がマディーナに集結しました。こうして私たちは彼と共にマディーナを出発し、ズー・アル=フライファ[22]に到着しました。そこでアスマーゥ・ビント・ウマイスがアブー・バクルの息子であるムハンマドを出産しましたが、彼女はその件についていかにすべきか訊ねるべく、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に使いを送りました。(それに関して預言者は)言いました:“グスル[23]をし、布類でもって(出血が漏れぬよう)抑えるのだ。そしてイフラームに入るがよい”。それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はモスクでサラー(礼拝)をし、アル=カスワーゥ[24]に乗りました。そして彼のラクダが砂漠で立ち止まった時、私は彼の前後左右が乗り物用の家畜に乗って、あるいは徒歩で歩む巡礼者で見渡す限り埋め尽くされているのを眺めました。クルアーンの啓示が下り、そしてその解釈を心得ているアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私たちの中心におり、そして私たちは彼の成すこと全てを模倣しました。そして彼は、タウヒードの言葉[25]を唱えました:“アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あなたに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属します”それで人々も同様に唱えましたが、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はそれに関して何の異議も唱えませんでした。こうしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はタルビヤを常に唱え続けたのです。

(続けて)ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私たちは皆ハッジに臨んだのであり、(ハッジの時期に)ウムラ(が行えることなど)は知りませんでした[26]。私たちは彼と共にカアバ神殿に赴き、(黒石の埋め込まれている)柱に触れました。そして(タワーフの最初の)3周を早足で、(残りの)4周を歩いて回りました。それからイブラーヒームの立ち所[27]へと赴き、-イブラーヒームの立ち所を、サラー(礼拝)の場とせよ。,(クルアーン2125)と唱え、それをカアバ神殿と自分の間に挟んだ形で立ちました。」

(伝承者の1人、ジャアファルはここで言いました:)「私の父‐彼がそれを預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えて言ったことなのかどうかは知りませんが‐は、こう言いました[28]:“(彼は、イブラーヒームの立ち所での2ラクアの礼拝において): -言え、「不信仰者たちよ。」,(クルアーン109)と-言え、かれはアッラー、唯一なるお方。,(クルアーン112)を読みました。”」

(ジャービルは続けて言いました:)「それから(預言者は黒石の)柱に戻ると黒石に触れ、(モスクの扉から)出てサファーへ向かいました。そしてサファーに近づくと-実にサファーマルワは、アッラーのみしるしの1つである。ゆえにカアバ神殿へのハッジに詣でたり、ウムラを行ったりする者は、その周囲をタワーフしても支障はない。そして自ら進んで(義務ではないイバーダや善行を)行う者は、よきものを得よう。実にアッラーは(どのような些細なことであっても)よくお報いになられ、全てをご存知のお方なのである。,(クルアーン2158と唱え、「アッラーが始められたことにおいて開始します[29]」と言い、サファーの丘から行を開始しました。そしてサファーの丘に昇るとカアバ神殿の方に向かい、タハリール[30]タクビール[31]を唱えました。そしてこう言いました:ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ・ラー・シャリーカ・ラフ、ラフ=ル・ムルク、ワ・ラフ=ル・ハムド、ワ・フワ・アラー・クッリ・シャイイン・カディール。ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ、アンジャザ・ワァダフ、ワ・ナサラ・アブダフ、ワ・ハザマ・アル=アハザーバ・ワハダフ(いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなし。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方である。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなし。かれはお約束をご遂行され、そのしもべをお助けになり、そしてかれ御1人で不信仰の輩を壊滅させられた)[32]それからドゥアー(祈願)に勤しみ、このようなことを3回繰り返しました。そしてマルワの丘へと向けてそこを降り、その両足が谷底に差し掛かったところで駆けました。そして上りに差し掛かると歩き出し、こうしてマルワの丘に到達しました。マルワの丘ではサファーの丘でしたのと同じことを行い、サアイの最後の周はマルワの丘で迎えました。そしてこう言いました:“もし私が過ぎ去ってしまったことを取り戻せるのなら、(私はマディーナから巡礼のための)犠牲を率いて来ず、そしてこれ(先に行った行のこと)をウムラとしたのだが。ゆえにあなた方の内で犠牲を率いてこなかった者は、今行った行をウムラとし、イフラームを解くのだ。”するとスラーカ・ブン・マーリク・ブン・ジュァシムが立ち上がり、こう言いました:“アッラーの使徒よ、この命令は今年のみなのですか、それとも今年以後ずっとなのですか?” アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は両手の指を交互に組むと、2回“ウムラはハッジの中に入れられたのだ”と言い、そしてこう言いました:“(この命令はこれ以降も)ずっとである。ずっとである”。

そこでアリーが預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のための犠牲(ラクダ)を引き連れて、イエメンからやって来ました。彼は(彼の妻)ファーティマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)がイフラームを解き、染物の衣服をまとい、眼にはコフル[33]をつけていたので、それを咎めました。(ファーティマは彼に)言いました:“父(つまり預言者)がこうするよう命じられたのです。”」

(ジャービルは引き続き)言いました:「アリーはイラクで、(この時のことについて)こう言ったものです:“私はファーティマが行ったことに関し、いきり立ちながらアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに赴き、彼女が言っていたことについて彼に訊ねました。そして自分が彼女の行いを咎めたことも伝えました。すると(預言者は)言いました:「(彼女は)真実を語った。真実を語った。あなたはハッジをしようと決心した時、何と言ったのか?」私は言いました:「アッラーよ、私はあなたの使徒が行ったようにイフラームに入ります、と言いました」(預言者は)言いました:「私には犠牲があるのだ。(それでイフラームを解かなかったのであり、)それゆえあなたもイフラームを解いてはならない」”」

(ジャービルは)言いました:「アリーがイエメンから率いて来た犠牲と、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が率いて来た犠牲の総数は100頭に達しました。」

(ジャービルは引き続き)言いました:「そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)と犠牲を率いていた者を除いて、人々は皆イフラームを解き、頭髪を切りました。そしてタルウィヤの日[34]‐ズー・アル=ヒッジャ月の8日‐に、彼らはミナーへと向かいました。そしてハッジのイフラームに入り、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はラクダに乗って(ミナーへと赴き)、そこでズフルとアスルとマグリブとイシャーとファジュルの礼拝をしました。そして(ファジュル後)太陽が昇るまで少し待つと、ナミラ[35]に(家畜の)毛製のテントを張るよう命じました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は歩み出しましたが、クライシュ族の者たちはてっきり彼がイスラーム以前の無明時代にクライシュ族がそうしていたように、アル=マシュアル・アル=ハラーム(ムズダリファ)に留まるものだと思って疑いませんでした。しかしアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はそこを越えて、アラファに到達しました[36]。ナミラには既に彼のためのテントが張られていました。彼は太陽が傾き始めるまでそこに滞在すると、カスワーゥに鞍をつけるよう命じ、(ウラナ)谷の中央まで歩み出て人々に説教しました。(預言者は、説教においてこう)言いました:

あなた方の生命も財産も、この国におけるこの日、この月の神聖さと同様に神聖なものなのだ。(イスラーム以前の)無明時代の諸事は、全て私の足下で破棄される。無名時代の血の復讐もまた、破棄されるのだ。血の復讐の廃止が適用される最初の例は、バヌー・サアド族に育てられフザイル族に殺されたラビーア・ブン・アル=ハーリスの息子の件である。また無明時代のリバー(不法商行為)も破棄される。リバーの廃止が適用される最初の例は、アル=アッバース・ブン・アブド・アル=ムッタリブの利子の件である。それは全て放棄されるのだ。

また女性において、アッラー(の懲罰やお怒りの原因となるような物事)から身を慎むのだ。あなた方はアッラーの保障の下に彼女らを娶ったのあり、またアッラーの御言葉において彼女らの肉体を合法的なものとしたのであるから。あなた方は妻に対し、彼女らがあなた方の住まいにあなた方が望まない者を勝手に入れさせない権利を有する[37]。もし彼女らがそのような事をしたならば、あなた方は彼女らに体罰を施しても良いが、度を過ぎないようにせよ。また彼女らはあなた方に対し、食事と衣服を適切な形で与えられる権利を有する。

 私はあなた方に、私の(死)後もそれを固守している限りはあなた方が迷い去ることのないものを残した。それこそはアッラーの書(クルアーン)である。あなた方は(審判の日)私について尋ねられるが、一体あなた方は(その時)何と言うのか?

 (聴衆は)言いました:“「あなたは確かに、あなたの主からのメッセージを伝えられました。また(使徒としての役割を)果たされました。またあなたの共同体に(誠実な)忠告をされました」と証言します。”

すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人差し指を空に向けて指し、それから聴衆に向けて、アッラーよ、証人たれ。アッラーよ、証人たれ3回繰り返して言いました。

 そしてアザーン(礼拝時間に入ったことを告げる呼びかけ)が唱えられ、次いでイカーマ(礼拝開始の合図)が行われると、(預言者は)ズフルの礼拝を率いました。それから(また)イカーマが行われ、(今度は)アスルの礼拝を率いましたが、その2つの礼拝の間には何の礼拝もしませんでした。それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(アラファの)立ち所へと赴き、彼の雌ラクダ「カスワーゥ」を(ラフマ山の麓の)岩石群脇にとめました。そして歩道を面前にし、キブラの方向を向いて日没まで(祈願や念唱をしながら)立ち続けました。(日没直後の)黄色い光が少し消えて太陽が完全に沈んだ頃、彼はウサーマを後ろに同乗させてそこを出発しましたが、その際カスワーゥの頭が(のけぞって)足をかける部分に当たるほどに手綱を強く引きました。そして右手で示しながら、こう言いました:“人々よ、静粛に。静粛に。”また砂丘の登り道にさしかかる度、ラクダがそこを登り切るまで(手綱を)幾分緩ませました。

 こうしてムズダリファに到着し、そこで1度のアザーンと2度のイカーマでもってマグリブとイシャーの礼拝をしましたが、その(2つの礼拝の)間礼拝はしませんでした。それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はファジュルまで横になると、1度のアザーンとイカーマでもってファジュルの礼拝を行い、それからカスワーゥに乗ってアル=マシュアル・アル=ハラーム[38]に向かいました。そして空が非常に明るくなるまで、キブラに向かってドゥアー(祈願)し、タクビール[39]し、タハリール[40]し、アッラーの唯一性を確認し続けました。それから太陽が昇る前にそこを出発しましたが、その際アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアル=ファドゥル・ブン・アッバースを自分の後ろに同乗させました。彼は髪が美しく、肌の白い美男子でした。そして出発した後に婦人たちを乗せたラクダの1群の脇を通りかかりましたが、その時アル=ファドゥルは彼女たちを眺め出しました。それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(彼が女性を見つめ続けないよう)手でアル=ファドゥルの顔を覆いましたが、彼は顔を逆方向から出してまた眺め出しました。それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は逆方向から手を出してアル=ファドゥルの顔を覆いましたが、彼はまた別方向から顔を出して眺め出すのでした。そうする内にムハッスィルの谷にさしかかり、(預言者は)歩みを少々速めました。そして大ジャムラ(アル=アカバジャムラ)へと続く真ん中の道を取り、1本の木の脇にあるジャムラに到着しました。彼はそこで7つの小石を投げましたが、谷の真ん中から1つずつ指でつまんで投げ、その一投ごとに「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言いました。

 それから犠牲を屠る場所へ赴き、自らの手で(100頭いた内の)63頭のラクダを屠りました。そして残りはアリーに屠らせ、彼と犠牲を共有させました。それから屠ったラクダの肉片を鍋で調理するよう命じ、アリーと共にその肉を食し、スープを飲みました。

 その後アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はラクダに乗ると、カアバ神殿へと向かい(タワーフ・アル=イファーダをし)ました。そしてマッカでズフルの礼拝を行った後、ザムザムの水の管理にあたっていたアブド・アル=ムッタリブ家の者たちのもとに赴き、こう言いました:“アブド・アル=ムッタリブ家の者たちよ、水を汲むのだ。もし人々が(私のすることに従おうとして挙ってやって来て)あなた方のこの水汲み作業を奪ってしまう恐れがなければ、私はあなた方と共に水汲みをしたところなのだが。”それで彼らはバケツで水を汲み、彼はそれを飲みました。」(ムスリムの伝承[41]

 

     ハッジやウムラに関わらず、旅路から帰宅した際に唱えること:

アブドッラー・ブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は軍の派遣や遠征、あるいはハッジやウムラから帰って来ると、丘や丘陵地に昇って3回タクビールし、こう言いました:「唯一のアッラー以外に真に崇拝すべきものはなく、かれに並ぶ何ものもありません。王権はかれに属し、讃美もかれに属します。かれは全てにおいて全能です。私たち主の御許へと帰り、悔悟し、崇拝し、サジダ(平伏礼)し、そしてかれを称えます。アッラーは御自身のお約束をご履行し、そのしもべを勝利させ、部族連合をかれのみのお力で敗走させられました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[42]

 

     ハッジにおける根幹的行為[43]

 ①イフラーム、②アラファでの滞在、③タワーフ・アル=イファーダ、④サアイ。

 

     ハッジにおける義務行為:

       本人にとって適切なミーカートからイフラームに入ること。

       給水や家畜の管理などの正当な理由がない者を除き、アイヤーム・アッ=タシュリークの最初の2日間の晩をミナーで過ごすこと。

       イードの日の晩をムズダリファで過ごすこと。あるいは弱者などの場合は、夜の半分以上をそこで過ごすこと。

       ジャムラートの投石。

       剃髪、あるいは頭髪を切ること。

       巡礼を終えてマッカを去る際に、マッカ居住民でない者がタワーフ・アル=ワダーゥ(別れのタワーフ)を行うこと。

     イフラームをしなければ、巡礼の儀は成立しません。またハッジであれウムラであれ根幹的行為を1つでもやり損ねれば、巡礼の儀の成立はありません。

     義務行為をどれか1つでも故意に、かつその規定を知りつつ放棄した者は罪を犯したとみなされます。そのような者には贖罪としての犠牲は課されず[44]、巡礼の儀自体は正しいのですが、不完全であると見なされます。また言動的なものであれ行為的なものであれ、巡礼におけるスンナ‐根幹的行為と義務的行為以外のもの‐の放棄ややり損ねに関してはその罪を問われることもなく、何らかのペナルティが課されることもありません。

 

     巡礼の儀のやり損ねと妨害に関しての法的見解:

アラファでの滞在を逃した者は、ハッジをやり損ねたことになります。そのような場合はその巡礼をウムラとしてイフラームの解除をし、犠牲を捧げ、もしそのハッジが任意ではなく義務のものであれば後にそのやり直しを求められます。但し、前もって巡礼に条件付けていた場合[45]はその限りではありません。

また敵によってカアバ神殿の入場を阻止された者は、犠牲を捧げ、剃髪か頭髪の切除を行ってからイフラームを解除します。そしてアラファ滞在を阻まれた場合は、ウムラをもってイフラームの解除とします。

病気や財産の枯渇などで巡礼の継続が不可能になってしまった場合は、もし前もって条件付けていたのなら、何のペナルティもなくイフラームを解除することが出来ます。一方イフラームを条件付けていなかった場合は、何らかの犠牲を屠り、剃髪か頭髪の切除をした後イフラームを解きます。また骨折や病気、身体が不自由になるなどの理由で巡礼の遂行が不可能になった場合はイフラームを解除し、もしそのハッジが任意のものではなく義務のものであったのなら、その後そのハッジをやり直す義務があります。



[1] 訳者注:ヒジュラ暦12月のこと。

[2] 訳者注:「ジャムラ」とはマッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦1210日に最大の柱「アル=アカバ」に7個、そして111213日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。 

[3] 訳者注:「イファーダ」というアラビア語には「押し寄せる」という意味がありますが、これは巡礼者がミナーからマッカへと、このタワーフのために一斉に押し寄せて来ることにその名称の由来があると言われます。

[4] 訳者注:「サアイ」とは、「サファーとマルワの丘」の間を「サファーの丘」から始めて3往復半することで、ハッジとウムラの根幹的行為の内の1つです。

[5] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

[6] 訳者注:ヒジュラ暦12月の111213日の3日間のこと。

[7] サヒーフアル=ブハーリー(83)、サヒーフ・ムスリム(1306)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[8] 訳者注:マッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦1210日に最大の柱に7個、そして111213日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。

[9] 訳者注:「ジャムラ」とはマッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦1210日に最大の柱「アル=アカバ」に7個、そして111213日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。 

[10] 訳者注:ヒジュラ暦12月の111213日の3日間のこと。

[11] 訳者注:「ムズダリファ」とは、ヒジュラ暦129日の夜を過ごすことになっているマッカ近郊の場所。

[12] 訳者注:「イファーダ」というアラビア語には「押し寄せる」という意味がありますが、これは巡礼者がミナーからマッカへと、このタワーフのために一斉に押し寄せて来ることにその名称の由来があると言われます。

[13] 訳者注:ゆえに壁に小石を当てなくても、穴に直接小石を投げて落とせば有効となります。

[14] サヒーフアル=ブハーリー(1723)、サヒーフ・ムスリム(1306)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[15] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

[16] 訳者注:詳しくは「③イフラーム」の項を参照のこと。

[17] 訳者注:「ギーバ」とはその内容の真偽に関わらず、その当人が言及されることを厭うようなことをその陰で話すことを意味します。

[18] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

[19] 訳者注:1ズィラーァは約50cmです。

[20] 訳者注:「ムハージル」はマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者で、「アンサール」は彼らをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面から援助した信仰者たちのことです。

[21] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1951)、スナン・アン=ナサーイー(2996)。文章はアブー・ダーウードのもの。

[22] 訳者注:詳しくは「②ミーカート」の項を参照のこと。

[23] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

[24] 訳者注:「カスワーゥ」は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のラクダの名前です。彼がマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した時に乗っていたのが、このラクダであると言われています。

[25] 訳者注:つまり「タルビヤ」のことです。詳しくは「③イフラーム」の項を参照のこと。

[26] 訳者注:イスラーム以前の習慣では、ハッジの時期にはウムラは出来ないものとされていたためです。

[27] 訳者注:イブラーヒームがアッラーの命に従ってカアバ神殿を建設する際、その足場にしたと言われる台のこと。カアバ神殿からみて東側の、程近い場所にあります。

[28] 訳者注:このハディースは、預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)と共にハッジを行った教友ジャービルが第2伝承者であるムハンマドに、そしてムハンマドがその息子のジャアファルに伝える、という形で伝承されています。この言葉はジャアファルのもので、彼は彼の父ムハンマドが伝承の中で言及したクルアーンのこれらの章の朗誦についての話がジャービル自身のものであったのか、あるいはジャービルが預言者から伝えたものなのであったか確信がもてないと言っているのです(アン=ナワウィー著サヒーフ・ムスリム解釈より)。

[29] 訳者注:クルアーンの句で「サファー」が「マルワ」より先に言及されている通り、「サファー」の丘からサアイの業を開始します、という意味であると言われます。

[30] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

[31] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

[32] サヒーフアル=ブハーリー(4114)、サヒーフ・ムスリム(1218)。文章はムスリムのもの。

[33] 訳者注:眼病を予防したりする目的で目の周りに付ける黒い粉のこと。硫化アンチモンを指します。

[34] 訳者注:「タルウィヤ」とは元来、水の供給を意味します。というのもヒジュラ暦8日に赴くことになっているミナーには本来水がなく、それゆえにこの日は水をミナーに運ぶことになっていたからです。

[35] 訳者注:ミナーから見てアラファの手前に位置する場所の名で、アラファの中には入りません。

[36] 訳者注:イスラーム以前の無明時代においてハッジの際、クライシュ族は「我々は聖域の民であるから、そこからは出ない」と奢り高ぶり、聖域外であるアラファまで行かずに聖域内であるムズダリファに逗留するという慣わしを固持していました。預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はそんな彼らの期待を裏切り、クライシュ族以外の他のアラブ部族がそうしていたように、ムズダリファを後にして聖域外であるアラファに向かったのです。

[37] 訳者注:原文では「妻があなた方の厭う者を褥に入れさせない権利」とありますが、サヒーフ・ムスリム解釈者の1人であるアン=ナワウィーは上記のように解釈しています。

[38] 訳者注:本来ムズダリファ内のクザフという小山があったところですが、現在はそれはなくなり、モスクが建設されました。

[39] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

[40] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

[41] サヒーフ・ムスリム(1218)。

[42] サヒーフアル=ブハーリー(1797)、サヒーフ・ムスリム(1344)。文章はムスリムのもの。

[43] 訳者注:それを遂行しなければ、ハッジがそもそも成立しない根幹的義務行為のことです。

[44] 訳者注:4大法学派の一致した見解では、意図的であったかどうかを問わず、義務行為を1つでもやり損ねた場合には贖罪としての犠牲が課されます。

[45] 訳者注:ムフリム(イフラームに入る者)は病気や(敵による妨害などの)恐怖の状態にある場合、イフラームの際に巡礼の形式を唱える時、こう言うことがスンナです:「もし阻むものが私(の巡礼の遂行)を阻んだら、私の(イフラームを解く)場所はあなたが私を阻まれた所です」こうすれば、もし何かによって巡礼を妨害されたり病状が悪化したりしても、イフラームを解く際に犠牲を捧げなくても済むのです。

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