മീഖാത്തുകള്‍

ലേഖനങ്ങള്‍ ഇനം-വിവരണം
അഡ്രസ്സ്: മീഖാത്തുകള്‍
ഭാഷ: ജാപനീസ്‌
എഴുതിയ വ്യക്തി: മുഹമ്മദ് ഇബ്നു ഇബ്’റാഹീം അത്തവിജിരി
പരിഭാഷകര്‍: സഈദ് സാത്തു
പരിശോധകര്‍: ഫാത്ത്വിമ സാതോ
പ്രസാധകര്‍: ഇസ്’ലാമിക് കാള്‍ ആന്‍റ് ഗൈഡന്‍സ് സെന്‍റര്‍ - റബ്’വ
സംക്ഷിപ്തം: മുഹാമ്മദ് ബ്ന്‍ ഇബ്രാഹീം തുവൈജിരിയുടെ മുഖ്തസ്വറുല്‍ ഫിഖ്ഹുല്‍ ഇസ്ലാമി എന്ന പുസ്തകത്തെ അവലംബമാക്കി രചിച്ച ഈ ലേഖനത്തില്‍ നഹജ്ജിന്‍റെ മീഖാത്തുകള്‍. ഏവ എന്ന് വിവരിക്കുന്നു.
ചേര്‍ത്ത തിയ്യതി: 2008-04-17
ബ്രീഫ് ലിങ്ക്: http://IslamHouse.com/116885
താഴെ വരുന്ന ഇനങ്ങള് വിഷയാടസ്ഥാനത്തില് ക്രമീകരിക്കപ്പെട്ടവ
താഴെ പറയുന്ന ഭാഷയിലേക്ക് ഈ കാര്ഢ് ഭാഷാന്തരം ചെയ്തിരിക്കുന്നു: ജാപനീസ്‌ - അറബി - തായ്‌ - ബെങ്കാളി
കൂടെയുള്ള അറ്റാച്മെന്റ് ( 2 )
1.
ミーカート
144.8 KB
: ミーカート.pdf
2.
ミーカート
1.2 MB
: ミーカート.doc
സംക്ഷിപ്തങ്ങളുടെ വിവരണം

②ミーカート

     ミーカートとは:イバーダ(崇拝行為)を始める場所と時間のことです。

 

     ミーカートが定められたことの英知:

アッラーはカアバ神殿の偉大さと誉れゆえ、そこに砦‐つまりマッカ‐と、聖域‐つまりハラムの領域‐を定められました。そしてハラムの領域にはまた更にハラムの領域があり、それこそがハッジかウムラに臨もうとする者がそこからイフラーム[1]に入ることなしには通過することの出来ないミーカートなのです。

 

     ミーカートの区分:

 ミーカートには2つの区分があります:

 1時間的区分:ハッジの季節はシャウワール月、ズー・アル=カアダ月、ズー・アル=ヒッジャ月[2]です。そしてハッジの季節の始まりはシャウワール月で、ハッジのイフラームをすることの出来る最後の時はズー・アル=ヒッジャ月10日目の日の出前までです。一方ウムラには特定の時期はなく、いつでも行うことが出来ます。

 2場所的区分:ハッジ、あるいはウムラに望む者がイフラームには5つの地点のことです:

         ズー・アル=フライファ:マディーナの住民、及びそこを通過する者のミーカートです。ミーカートの中でも最もマッカから遠い地点にあり、約420キロ離れています。「アル=アキークの谷」とも呼ばれ、預言者モスクから南に13キロの地点にあるそのモスクは「マスジド・アッ=シャジャラ」と名付けられています。ここ祝福に溢れた谷でサラー(礼拝)することは、推奨された行いの内の1つです。

         アル=ジュフファ:シャーム地方(現在のシリア、レバノンなどの地方)やトルコ、エジプト、モロッコ及びその付近の地域の住民と、そこを通過する者のためのミーカートです。ラービグ付近の1村で、マッカからは約186キロ離れています。現在人々はその西方に位置するラービグからイフラームするようになりました。

         ヤラムラム:イエメン地方、及びその付近の地域の住民と、そこを通過する者のためのミーカートで、マッカからは約120キロ離れた1村です。現在は「アッ=サアディーヤ」と呼ばれています。

         カルヌ・アル=マナーズィル:ナジュド地方、ターイフなどその付近の地域の住民と、そこを通過する者のためのミーカートです。現在は「アッ=サイル・アル=カビール」と呼ばれ、マッカからは約75キロ離れています。マハラムの谷はこのカルヌ・アル=マナーズィルの付近に位置しています。

         ザート・イルク:イラクとその付近の地域の住民、及びそこを通過する人々のためのミーカートで、アッ=ダルビーヤと呼ばれています。マッカからは約100キロ離れています。

またミーカートよりもマッカ側に向けて内側に居住している者は、そこからイフラームに入ります。

 イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はマディーナの民にはズー・アル=フライファ、シャーム地方の民にはアル=ジュフファ、ナジュドの民にはカルヌ・アル=マナーズィル、イエメンの民にはヤラムラムをミーカートとして定められました。それらのミーカートがハッジとウムラに臨もうとするそれらの国の民と、そこを通過する者のため(に定められたの)です。そしてそれら(のミーカート)の内側に住んでいる者は、自分の家からイフラームに入ります。マッカの民であっても、イフラームに入るのは自宅からです。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]

 

     5つのミーカートの内側に居住する者のイフラームの仕方:

 マッカからハッジに臨む者は、ハラム(聖域)の外に出てイフラームに入ることも可能ですが、自分の家からイフラームに入るのがスンナ[4]です。またマッカの居住者でウムラに臨もうとする者は、タンイーム[5]のマスジド・アーイシャやアル=ジゥラーナなど、本人にとってより都合のよい聖域外の場所からイフラームに入ります。そしてその法規定を知りつつ、かつ故意に聖域内からウムラのイフラームに入るのは有効ですが、罪を犯したことになります。そのような者は悔悟し、その罪の赦しを乞わなければなりません。

 

     イフラームをせずにミーカートを通過することについての法的見解:

1-ハッジ、あるいはウムラに臨もうとする者が、イフラームをすることなくミーカートを通過することは許されません。もしそうしてしまった者は、ミーカートに戻ってイフラームに入らなければなりません。もしその規定を知りながらも、敢えてミーカートを通過した後にイフラームに入る者のハッジとウムラは有効ですが、罪を犯したと見なされます。尚ミーカートよりも前の地点でイフラームに入ることは忌避すべきですが、合法です。

2-ハッジ、あるいはウムラを臨むのではなくしてミーカートを通過し、その後にハッジかウムラをしようと決意する者は、現在いるその場所からイフラームに入ります。但し(ミーカート通過後)聖域内に入ってからウムラをすることを決心した者は、いったん聖域外に出てからイフラームに入らなくてはなりません。

     マッカの居住者は、マッカからイフラード、あるいはキラーンのイフラームに入ります。しかしもしウムラを単独で行ったり、あるいはタマットゥ[6]のハッジを行ったりしたい場合は、タンイームやアル=ジゥラーナなどの聖域外に出てからイフラームに入ります。

 

     飛行機の中でのイフラームの形:

 ハッジ、あるいはウムラに臨んで飛行機に乗る者は、飛行機がミーカートを通過した時に規定の衣類を装着してイフラームに入ります。もし2枚の布がなければズボンなどで、ズボンがなければ長上衣などを用いてイフラームに入り、頭部には何も着けません。そのような者は飛行機から降りたらイフラーム用の2枚の布を手に入れ、それに着替えるようにします。

 またジェッダの空港に到着するまでイフラームを遅らせることは許されません。もしそうしてしまったのなら、最寄りのミーカートまで戻ってイフラームをし直す必要があります。もしそうせずに空港、あるいはミーカート通過後に意図的に、かつその行為の法的見解を知りながらイフラームに入った場合、その者のハッジは有効なものではありますが罪を犯したことになります。

 イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアラファート[7]で演説してこう言いました:「イザール(腰布)がない者はズボンを、サンダルのない者は靴を身に着けよ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8]

 



[1] 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することです。

[2] 訳者注:それぞれヒジュラ暦の10月、11月、12月のことです。

[3] サヒーフアル=ブハーリー(1526)、サヒーフ・ムスリム(1181)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[4] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

[5] 訳者注:「タンイーム」とはマッカ北部の聖域境にある地名のことです。中心部からは約7キロ離れています。

[6] 訳者注:「イフラード」「キラーン」「タマットゥ」とは全てハッジの形式のことです。詳しくは「⑤ハッジの形式の種類」の項を参照のこと。

[7] 訳者注:「アラファート」とはヒジュラ暦12月の9日目、ハッジの巡礼者たちが赴くことを義務付けられているマッカ近郊の台地。この日この地でアッラーを念じ、タルビヤを唱え、祈り、犯した罪の赦しを乞う事は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「ハッジはアラファである。」という言葉が示す通り、ハッジのメインイベント的意味合いを持っています。

[8] サヒーフアル=ブハーリー(1843)、サヒーフ・ムスリム(1178)。

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