ഫറള് നമസ്കാരങ്ങള്ക്ക് ശേഷമുള്ള ദിക്റുകള്
⑥5つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱)
● 義務のサラーを終えてタスリーム[1]したら、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から正しく伝えられているサラー後のズィクル(念唱)を各自声に出して唱えるのがスンナです。それには以下に挙げるようなものがあります:
● 「私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラーにお赦しを乞います。」(ムスリムの伝承[2])
● 「アッラーよ、あなたこそが平安の主で、平安はあなたからのものです。崇高さと栄誉の主に称えあれ。”」(ムスリムの伝承[3])
● 「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーよ、あなたがお与えになるものを禁じる者はなく、あなたが禁じられるものを与えられる者はおりません。(現世における)どんな優れた境遇も、あなたの御許での真の幸福を益することはありません。[4]」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
● 「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もありません。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、私たちはかれの他にいかなるものも崇拝したりしません。恩恵と潤沢はかれにこそ属し、そしてかれにこそよき誉れがあります。アッラー以外に真に崇拝すべきものはありません。例え不信者たちが忌み嫌おうとも、私たちはアッラーに誠意を尽して仕えます。」(ムスリムの伝承[6])
● それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わる、以下のようなズィクル(念唱)を行います:
1-「サラーを終えるたびにアッラーを33回タスビーフ[7]し、また33回タハミード[8]し、また33回タクビール[9]して(計)99回(のズィクルを)行い、更に“いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です”と唱えて100を完遂する者は、例え海の泡ほどの罪があったとしてもそれを赦されるであろう。」(ムスリムの伝承[10])
2-「タスビーフを25回、タハミードを25回、タクビールを25回、タハリール[11]を25回」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承[12])
3- 「全ての義務のサラー後に33回のタスビーフ、33回のタハミード、34回のタクビールを(唱えてアッラーの念唱を)後続させれば、成功しそびれることはないだろう。」(ムスリムの伝承[13])
4-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ムスリムが5度の(義務の)サラーの後に数え(て唱え)れば、天国に入ることの出来る2つの特別なもの。それは易しいものであるにも関わらず、行う者は数少ない。」(預言者は)言いました:「5度の(義務の)サラーを終えて10回タスビーフし、また10回タハミードし、更に10回タクビールすれば、それは舌には150、そして報奨の秤においては1500に値するのだ。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承[14])
5-アル=ムアウウィザターン[15](アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[16])
6-アーヤト・アル=クルスィー(クルアーン2:255)。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラーの後にアーヤト・アル=クルスィーを読む者は、死んだ後天国に入ることを阻まれないであろう。」(アン=ナサーイーとアッ=タバラーニーの伝承[17])
アーヤト・アル=クルスィーとは、次のアーヤ(句)のことです:-アッラーはかれの他に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえることはない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのだ。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。,(クルアーン2:255)
● タスビーフは両手の指で数えるのがスンナです。
1-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がタスビーフを数えるのを見ました。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承[18])
2-ヤスィーラ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は私たちに言いました:“女性たちよ、タスビーフとタフリールとタクディース[19]をするのだ。そして指で数えなさい。その指は(審判の日、)言葉を放つ(その善行の)証人となるのだから。そしてアッラーのご慈悲を忘れてしまわないよう、(ズィクルを)おろそかにしてはならない。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[20])
● ファジュルとアスルのサラーの後、座ってズィクル(念唱)することの徳:
1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“早朝のサラーの後で、太陽が昇るまで至高のアッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとってイスマーイールの子孫の奴隷を4人解放することより愛すべきことである。またアスルのサラーの後で、太陽が沈むまで至高のアッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとって奴隷を4人解放することより愛すべきことである。”」(アブー・ダーウードの伝承[21])
2-ジャービル・ブン・サムラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はファジュルのサラーの後、太陽が完全に昇るまではサラーしたその場に座っていたものでした。(ムスリムの伝承[22])
● ズィクル(念唱)とドゥアー(祈願)をする場所:
1-任意のサラーの後のドゥアーに法的根拠はありません。ドゥアーしたい者は任意のサラーであれ義務のサラーであれ、タスリーム[23]の前に行った方が良いでしょう。しかし何らかの理由で時々サラーの後にドゥアーするのなら、問題はありません。
2-「サラーの後」という限定付きで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えられているドゥアー(祈願)は、タスリームの前に行うという意味です。一方ズィクル(念唱)は、タスリームの後に行います。
[1] 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。
[2] サヒーフ・ムスリム(591)。
[3] サヒーフ・ムスリム(592)。
[4] 訳者注:現世における権力、財産、子孫などの幸運は、それ自体ではアッラーの御許での真の幸運、つまり天国という報奨を獲得することには直接つながらない、ということを意味すると言われます。至高のアッラーはこう仰られています:《財産と子孫は現世の生活の飾り物であるが、永遠に残る善行こそはあなたの主の御許で最も優れた報奨であり、希望である》(クルアーン18:46)
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(844)、サヒーフ・ムスリム(593)。
[6] サヒーフ・ムスリム(594)。
[7] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉。
[8] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉。
[9] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉。
[10] サヒーフ・ムスリム(597)。
[11] 訳者注:「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉。
[12] 良好かつ真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3413)、スナン・アン=ナサーイー(1351)。アッ=ティルミズィーはこの伝承を真正なものと判定しています。
[13] サヒーフ・ムスリム(596)。
[14] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3410)、スナン・アン=ナサーイー(1348)。文章はアン=ナサーイーのもの。
[15] 訳者注:クルアーンの最後の2章のこと。
[16] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1523)、スナン・アッ=ティルミズィー(2903)。
[17] 真正な伝承。スナン・アン=ナサーイー(9928)、アッ=タバラーニーのアル=カビール(8/114)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(972)参照。
[18] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3411)、スナン・アン=ナサーイー(1355)。
[19] 訳者注:タクディースとは「スブハーナ・アル=マリキ・アル=クッドゥース(真の王、聖なるお方の崇高さよ)」、「スッブーフン・クッドゥースッ・ラッブ・アル=マラーイカティ・ワッ=ルーフ(讃美すべき崇高なお方、聖なるお方、天使たちとジブリールの主)」といったズィクルを指します。
[20] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1501)、スナン・アッ=ティルミズィー(3583)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。
[21] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(3667)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2916)参照。
[22] サヒーフ・ムスリム(670)。
[23] 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。